個人情報保護のため削除部分あり『漢書』西域伝によると、前一世紀のタリム盆地地方では「寄田仰穀」ということが行なわれていた。この「寄田仰穀」 とは、ある国が隣国の土地を借りて耕し穀物を仰ぐといった状況を指す言葉であるが、このような状況は婼羌・鄯善・山国・蒲摯 ・依耐といった五国に見られた。そしてこれら五国は、ほとんど盆地周辺にあって遊牧を主たる生業とする民のいた"国"であり、 一方で少数の農耕を行う民のいた"国"でもあった。 「寄田仰穀」を行っていたのは後者の民と思われ、彼等は片道二〜九日の日数を費しタリム盆地内のオアシス国に「寄田仰穀」するため出かけて行った。その彼等が通った道こそ地方的に重要な道だったのであり、「寄田仰穀」関係を通して結ばれていた国々の間に"小経済圏"を成立させていた。According to Hanshu Xiyu-chuan 『漢書』西域伝, they had a practice called jitian yanggu in the district of Tarim Basin in the 1st century B. C. The term jitian yanggu means that people in a country live on the grain harvested in some arable land which they borrow from another country and cultivate themselves. This practice was observed in five countries: Erqiang 婼羌, Shanshan 鄯善, Shanguo 山國, Puli 蒲犂 and Yin...