個人情報保護のため削除部分ありゲッベルスを「無定見な日和見主義者」とする主張は、一九三〇年代と四〇年代のオットー=シュトラッサー派の著作に、その源をもっている。このようなゲッベルス像は、一九六〇年以降、大幅な修正を迫られるようになり、ごく最近では、かれをシュトラッサー兄弟とならぶナチ党左派のいま一つの急進的潮流として位置づけようとする主張さえあらわれるにいたっている。本稿は、一九二五~二七年にかけてのゲッベルスの動向につき、一九六〇年以降の研究の歩みの中から生まれた諸見解の対立に批判と検討を加え、この時期におけるかれの思想、かれのヒトラーおよびシュトラッサー兄弟との関係を明らかにすることを意図している。これまで「闘争期」のナチ運動において、ゲッベルスの演じた役割については、どちらかといえば、宣伝家としての側面が重視されてきた。だがこの人物については、ナチ運動において演じた社会的機能がもっと重視されなくてはならないように思う。本稿は、そのようなゲッベルス再解釈のための一つの予備作業なのである。Die Männer der "Kampfgemeinschaft der revolutionären Nationalsozialisten" unter der Führung Otto Strassers, der wegen des Gegen-satzes zu Hitler im Jahre 1930 aus der NSDAP ausgetreten war, behaupteten in ihren in den dreißiger und vierziger Jahren erschienenen Werken, daß Joseph Goebbels ein prin...