個人情報保護のため削除部分ありスパルタが最も古くから交渉を持っていたのは東隣のアルゴスとその周辺(アルゴリス) であった。本稿では、まず、前八世紀以来のスパルタとアルゴスの対立関係を前七世紀のヒュシアイの対戦まであとづけ、これまでの対アルゴス戦は、もっぱらエウリュポン王統によって熱心に行なわれたことを論証する。前六世紀中ごろ、スパルタは対外政策を征服から友好へと変更するが、その主たる対象はアルカディアであった。この政策転換の真の目的はメッセニア対策であると同時に、アルゴスを孤立させることにあり、この政策変更も対アルゴス策が一つの眼目となっていて、ヒュシアイの敗戦と第二メッセニア戦争以後の諸改革は、すべてこの政策転換への布石であった。すなわち、メッセニアを確実に抑え、アルカディア(南部) と友好関係を保って、アルゴスを孤立せしめ、もってスパルタの安泰をはかる、というのが前六世紀中葉以後の対外政策だったのである。The long-lasting conflict between Sparta and Argos began in the second half of the eighth century B. C. Some of the Eurypontid-kings invaded Argolis with Spartan army, but in 669/8 B. C. (the battle at Hysiai) Spartan advance was checked. This Sparta's defeat caused the Messenian revolt (i. e. the Second Messenian war). After the war Spar...