日本古代の村落形態については、条里式村落と自然村落との二つの概念がある。両者がともに、村落形態として数十戸程度のかなり大きな集村を想定しているのは、三〇~五〇戸一里という律令制下の村落制度が、律令以前からの村落の実態を継承しているという前提のためである。だが古代史料にあらわれる村は、文字の上で、行政村の里や郷と異なる性質を表現しているとしても、その性質は、自然村落という一つの言葉で要約出来る程、一様ではない。また播磨国風土記について、里と村との関係を調べると、里の中には、多数の、きわめて小規模な集落をふくむ可能性を示すものがある。従って、日本古代の村落研究には、いままでより数多くの集落類型を設定する必要がある。There are two conceptions about the forms of villages in ancient Japan, Jori-shiki 条里式 and natural villages; both of which were expected as several tens of fairly large villages, because the village system under the Ritsuryo 律令 System of 30 to 50 families a Ri 里 had accepted the reality of villages before Ritsuryo System. The village in the ancient literatures, however, is different, as a word, from Ri or Gô 郷 as an administrative villag...
領主権力が在地に経済基盤を求め、成り立っていることは自明のことである。したがって、在地の状況を知ることは、そのまま領主権力の一端を知る素材となる。しかし、在地に関する史料は概して乏しく、そのことは但馬...
領主権力が在地に経済基盤を求め、成り立っていることは自明のことである。したがって、在地の状況を知ることは、そのまま領主権力の一端を知る素材となる。しかし、在地に関する史料は概して乏しく、そのことは但馬...
京都府雲ノ宮遺跡は、山城で最古の弥生式遺跡である。私はこの遺跡の土器にせっして以来、畿内の前期弥生式土器を古・中・新の三段階に大別する考えをもつようになった。本稿では、雲ノ宮遺跡とその土器についてのべ...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
個人情報保護のため削除部分あり村落を農村・山村・漁村に分類する視点は近代の所産であるが、これに似た村落類型観が近世にも存在していた。それは「里方」・「山方」・「貴方(浜方) 」・「野方」その他の村落類...
従来,わが国古代の村落は,地方行政区画である郷里との関連において,2~3箇の集落で1行政単位の50戸を構成する程度の集落とする想定が,通念的に認められてきた。しかし,古代村落について,各種の史料の示す...
個人情報保護のため削除部分あり律令期前後の村落に言及する時、村落の起源のみを考察して事足れりとし、村落形態については現景観をそのまま溯及させて想定するといったように、景観が固定的に把握されている場合が...
日本書紀の歴代天皇紀中、その上代の部分には、全く記事を有しない空白の年次が非常に多い。いまこれらの空白年次を除外して計算すると、その結果は治世年数に関し記註崩年干支と極めて緊密な関係があることが発見さ...
わが上古の伝承史料に見える天神・国神の区別は神々の分類範疇であると同時に、その子孫たる氏々に関する社会構造上の二大分類でもあつた。この種の分類はいわゆる双分組織の類型に属すると考えられる。双分組織なる...
個人情報保護のため削除部分あり律令時代の郡家の立地については、従来、交通の便に優れた場所に置かれる傾向が指摘されてきた。しかし、これらの多くは郡家と交通路との近接性を漠然と説くものであり、郡家がいかな...
周體に起源をなす郷里制は、中國では隋唐でも行われ、我が國にも輸入されて實施された。その實施年代については從來の通説では大化二年 (西紀六四六年) の大化改新の際に五十戸一里なる里制が先ず行われ、後の靈...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
この論文は日本古代の土地所有権の性格を究明するために、その一の方法として古代の土地売買の実態を明らかにしようとするものである。本号に於ては先ず問題の所在・視角を明らかにしょうと試みた。即ち当時の売買の...
個人情報保護のため削除部分あり永原慶二氏の中世「小村=散居型村落」論に関する歴史地理学的再検討を行なった。薩摩国入来院の場合、中世前期の在家は広い薗畠と結合して概ね台地上に集落を営み、畠作農業を基盤と...
個人情報保護のため削除部分あり畿内とは何かということを、従来の説にとらわれないような形で考察することをめざした。まず、賦役令の検討から、従来別個の労役であるといわれていた歳役と雇役が、実は同一のもので...
領主権力が在地に経済基盤を求め、成り立っていることは自明のことである。したがって、在地の状況を知ることは、そのまま領主権力の一端を知る素材となる。しかし、在地に関する史料は概して乏しく、そのことは但馬...
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