本稿は,第1に鹿児島大学の前身になった鹿児島師範学校の代用附属学校田上小学校の大正期の地域連携活動,第2に鹿児島高等農林の初代の校長になった玉利喜造の地域農業振興のための活動とその思想,第3に第7高等学校造士館の初代館長になった岩崎行親の教育実践の思想と晩年の僻遠の地での旧制福山中学校における教育活動の特徴を中心にしてと,以上3つの課題を地方大学の歴史的展開という視点から明らかにすることを目的としている。それぞれに共通していることは,地域主義ということをかかげての教育実践と研究活動である。鹿児島師範の代用附属田上小学校は農村部に赴任していくための教員養成ということで,地域振興のセンターとして小学校の社会的機能をもっていたことを明らかにする。小学校の教員は,村誌編纂,村是を役場職員とともにつくることを義務づけられ,小学校の教員は,子どもを教えることはもちろんこと,地域の振興についての見識も求められ,社会教育活動も担っていたのである。玉利喜造は,農会活動の実践を前田正名と共に担い,地域農業振興と地域農政に大きな業績を残しながら,盛岡高等農林の初代校長になった。かれは,東北の凶作について,熱心に研究し,実践的な方策をうちだした。そして,鹿児島高等農林の初代校長になり,指宿の試験場つくりにみられるとおり,温泉熱の農業利用の研究など地域資源を生かした新たな農業振興の実践的な研究を指導した。さらに,鹿児島県の教育にも強い関心を示して,県教育会の副会長や県社会教育主事,奨学基金のための植林事業を師範学校と高等農林学生の共同の仕事として指導したのである。岩崎行親は第7高等学校造士館の初代館長として,東京と鹿児島で2度の入学試験の実施や海外の修学旅行などユニークな教育実践をするが,晩年は,僻遠...