この調査は、西大寺法寿院庫裡の立て替えに伴う事前調査として奈良市西大寺町で実施した。調査地は平城京右京一条三坊六坪、西大寺四王堂の北東に位置する。調査区は、東西8m、南北7.3mで、北に東西1.5m、南北2.6mの拡張区を設けた。調査面積は62.3㎡である。調査区の層序は、上から順に、黄色粘土混じり淡褐色士、黒褐色士、茶褐色土、灰褐色土または黄褐色土で、黄白色砂質土(地山)となる。調査区内では黄白色砂質土上面はほぼ平坦である
従来,上代における文字の普及とその習熟度を考える資料としては伝世資料に限定されていた.しかし,伝世資料である文献資料以外に,木簡・墨書土器・刻書土器・漆紙文書等の出土文字資料も重要なものである.木簡・...
前回当学紀要1巻1号掲載拙稿の続編の形になる。タフティバイ総合発掘としては最初と言えるスプーナーの発掘品の写真収集を試みた。ロンドンのインディアオフィスで印度考古学調査年報を特別閲覧し学術リサーチャー...
当研究所では大韓民国・国立慶州文化財研究所との共同研究において、2006年度より新たに「日韓発掘調査交流協約」を結び、双方の発掘現場への研究員の参加を中心とする研究交流をはじめた。本年度はその2年目に...
今回の調査区は、奈良市登大路町に所在し、平城京条坊では、左京三条七坊四坪の西北隅、興福寺旧境内の西端に位置する(図144)。江戸時代の『興福寺伽藍春日社境内絵図』や寛政3年(1791)作成と推測される...
調査地は、法華寺旧境内地内の中心伽藍の北東部にあたる。法華寺関連施設の存在が想定されているものの、周辺は早くから集落化が進み、現状では住宅密集地となっている。このため後世の削平により遺構の残存状態は良...
この調査は、薬師寺境内の北寄りを東西に流れる排水路の付け替えに伴い、奈良市河川課の委嘱を受けて実施した。調査地は薬師寺西面回廊の外側に当たる。調査面積は246㎡、調査期間は2004年2月12日から3月...
本調査は、史跡川原寺跡における、奈良県風致保全課による園地広場建設にともなう発掘調査である。調査地は川原寺の寺域北部にあたり、伽藍地の北西から北に延びる丘陵の東裾に位置する。近年まで畑地として利用され...
調査地は近鉄西大寺駅の東に位置し、西隆寺南面回廊の外側に当たる。近年再開発が進む地域で、今回の調査もビル建設に伴う事前の調査としておこなった。調査地にはすでに撤去を終えた建物基礎が残っており、基礎の間...
回の調査は奈良地方・家庭・簡易裁判所の建て替えにともなう緊急調査で、調査地は興福寺の子院・一乗院の東北隅にあたる。調査面積は63㎡、調査期間は2004年12月5日~12月9日であった。基本層序は上層か...
本文通过实地调查,对比前人的发掘资料,根据建筑的功能和用途,结合文献记载,把夏合吐尔和乌什吐尔两处地面寺院遗址的佛寺建筑分为佛堂、塔院、僧房、禅室、讲堂五类.夏合吐尔寺院的布局特征是以一大庭院为中心,...
本調査は個人住宅の建て替えに伴い、明日香村飛鳥で実施した事前調査である。調査地は飛鳥寺講堂の東方で、東面回廊と東面大垣のほほ中間に位置する。敷地内北東隅で東西15.0m・南北3.0m、調査面積45㎡の...
京田辺市大御堂観音寺境内に所在する、古代寺院普賢寺の塔跡の地下探査調査成果報告。瓦積基壇の可能性を探るべく、地中レーダ探査と磁気探査を実施した。その結果、両探査法は瓦の分布を良好に捉えることができ、瓦...
TaKht-i-Bahi寺はパキスタン西北部のガンダーラ地域(略図マップ1)にある紀元2世紀頃の仏教遺跡である(写真1、1907年当時)19世紀半ばから西欧考古学団による発掘が行われ今世紀に入っては日...
1942年,石璋如先生用考古学方法对敦煌石窟形制进行了测绘和记录,开中国学者用考古学方法研究敦煌石窟之先河。50~60年代,主持敦煌文物研究所工作的常书鸿先生,组建了考古组,邀请宿白先生作《敦煌七讲》...
橿原市城殿町における住宅建設にともなう事前調査である。調査地は本薬師寺金堂跡より北方に約105mをへだて、平城京薬師寺の伽藍配置を参照すると、食堂後方の十字廊および東北僧房の小子房の位置に該当する(図...
従来,上代における文字の普及とその習熟度を考える資料としては伝世資料に限定されていた.しかし,伝世資料である文献資料以外に,木簡・墨書土器・刻書土器・漆紙文書等の出土文字資料も重要なものである.木簡・...
前回当学紀要1巻1号掲載拙稿の続編の形になる。タフティバイ総合発掘としては最初と言えるスプーナーの発掘品の写真収集を試みた。ロンドンのインディアオフィスで印度考古学調査年報を特別閲覧し学術リサーチャー...
当研究所では大韓民国・国立慶州文化財研究所との共同研究において、2006年度より新たに「日韓発掘調査交流協約」を結び、双方の発掘現場への研究員の参加を中心とする研究交流をはじめた。本年度はその2年目に...
今回の調査区は、奈良市登大路町に所在し、平城京条坊では、左京三条七坊四坪の西北隅、興福寺旧境内の西端に位置する(図144)。江戸時代の『興福寺伽藍春日社境内絵図』や寛政3年(1791)作成と推測される...
調査地は、法華寺旧境内地内の中心伽藍の北東部にあたる。法華寺関連施設の存在が想定されているものの、周辺は早くから集落化が進み、現状では住宅密集地となっている。このため後世の削平により遺構の残存状態は良...
この調査は、薬師寺境内の北寄りを東西に流れる排水路の付け替えに伴い、奈良市河川課の委嘱を受けて実施した。調査地は薬師寺西面回廊の外側に当たる。調査面積は246㎡、調査期間は2004年2月12日から3月...
本調査は、史跡川原寺跡における、奈良県風致保全課による園地広場建設にともなう発掘調査である。調査地は川原寺の寺域北部にあたり、伽藍地の北西から北に延びる丘陵の東裾に位置する。近年まで畑地として利用され...
調査地は近鉄西大寺駅の東に位置し、西隆寺南面回廊の外側に当たる。近年再開発が進む地域で、今回の調査もビル建設に伴う事前の調査としておこなった。調査地にはすでに撤去を終えた建物基礎が残っており、基礎の間...
回の調査は奈良地方・家庭・簡易裁判所の建て替えにともなう緊急調査で、調査地は興福寺の子院・一乗院の東北隅にあたる。調査面積は63㎡、調査期間は2004年12月5日~12月9日であった。基本層序は上層か...
本文通过实地调查,对比前人的发掘资料,根据建筑的功能和用途,结合文献记载,把夏合吐尔和乌什吐尔两处地面寺院遗址的佛寺建筑分为佛堂、塔院、僧房、禅室、讲堂五类.夏合吐尔寺院的布局特征是以一大庭院为中心,...
本調査は個人住宅の建て替えに伴い、明日香村飛鳥で実施した事前調査である。調査地は飛鳥寺講堂の東方で、東面回廊と東面大垣のほほ中間に位置する。敷地内北東隅で東西15.0m・南北3.0m、調査面積45㎡の...
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従来,上代における文字の普及とその習熟度を考える資料としては伝世資料に限定されていた.しかし,伝世資料である文献資料以外に,木簡・墨書土器・刻書土器・漆紙文書等の出土文字資料も重要なものである.木簡・...
前回当学紀要1巻1号掲載拙稿の続編の形になる。タフティバイ総合発掘としては最初と言えるスプーナーの発掘品の写真収集を試みた。ロンドンのインディアオフィスで印度考古学調査年報を特別閲覧し学術リサーチャー...
当研究所では大韓民国・国立慶州文化財研究所との共同研究において、2006年度より新たに「日韓発掘調査交流協約」を結び、双方の発掘現場への研究員の参加を中心とする研究交流をはじめた。本年度はその2年目に...