この調査は、薬師寺境内の北寄りを東西に流れる排水路の付け替えに伴い、奈良市河川課の委嘱を受けて実施した。調査地は薬師寺西面回廊の外側に当たる。調査面積は246㎡、調査期間は2004年2月12日から3月17日。工事深度が奈良時代の遺構面を破壊するには至らないため、重機による掘削を終了した後に遺構を検出し、壁面を精査した。検出遺構の掘り下げはおこなっていない
publisher奈良近年、全国各地で渡来系文物が確認されている。特に韓式系土器は、5世紀代を中心として多量に検出されており、この時代を特色づける渡来文化の一つとして位置づけられている。本研究助成は、...
薬師寺西僧房は1974年に奈良国立文化財研究所が調査し、既に報告書が刊行されている。西僧房は天禄4年(973)に焼失したことから、出土資料は、使用年代の下限がわかる一括資料として注目される。本稿では、...
山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経...
橿原市城殿町における住宅建設にともなう事前調査である。調査地は本薬師寺金堂跡より北方に約105mをへだて、平城京薬師寺の伽藍配置を参照すると、食堂後方の十字廊および東北僧房の小子房の位置に該当する(図...
調査地は近鉄西大寺駅の東に位置し、西隆寺南面回廊の外側に当たる。近年再開発が進む地域で、今回の調査もビル建設に伴う事前の調査としておこなった。調査地にはすでに撤去を終えた建物基礎が残っており、基礎の間...
今回の調査区は、奈良市登大路町に所在し、平城京条坊では、左京三条七坊四坪の西北隅、興福寺旧境内の西端に位置する(図144)。江戸時代の『興福寺伽藍春日社境内絵図』や寛政3年(1791)作成と推測される...
回の調査は奈良地方・家庭・簡易裁判所の建て替えにともなう緊急調査で、調査地は興福寺の子院・一乗院の東北隅にあたる。調査面積は63㎡、調査期間は2004年12月5日~12月9日であった。基本層序は上層か...
本調査は、平成10年度の中門、11年度の東面回廊等に続く、興福寺第I期境内整備事業の第3・4年次にあたる。調査区は、中金堂基壇を中心とする東西51m、南北36m、調査面積は1836㎡で、調査区内には中...
個人住宅の建設にともなう調査で、調査地は海龍王寺旧境内の東北隅にあたる。宅地造成の直前まで調査区の北側には、北に低い段差があった。調査面積は約22㎡(南北3.6m、東西6m)で、調査期間は2009年5...
本調査は、史跡川原寺跡における、奈良県風致保全課による園地広場建設にともなう発掘調査である。調査地は川原寺の寺域北部にあたり、伽藍地の北西から北に延びる丘陵の東裾に位置する。近年まで畑地として利用され...
この調査は、西大寺法寿院庫裡の立て替えに伴う事前調査として奈良市西大寺町で実施した。調査地は平城京右京一条三坊六坪、西大寺四王堂の北東に位置する。調査区は、東西8m、南北7.3mで、北に東西1.5m、...
本調査は個人住宅の建て替えに伴い、明日香村飛鳥で実施した事前調査である。調査地は飛鳥寺講堂の東方で、東面回廊と東面大垣のほほ中間に位置する。敷地内北東隅で東西15.0m・南北3.0m、調査面積45㎡の...
調査地は、法華寺旧境内地内の中心伽藍の北東部にあたる。法華寺関連施設の存在が想定されているものの、周辺は早くから集落化が進み、現状では住宅密集地となっている。このため後世の削平により遺構の残存状態は良...
京田辺市大御堂観音寺境内に所在する、古代寺院普賢寺の塔跡の地下探査調査成果報告。瓦積基壇の可能性を探るべく、地中レーダ探査と磁気探査を実施した。その結果、両探査法は瓦の分布を良好に捉えることができ、瓦...
当研究所では大韓民国・国立慶州文化財研究所との共同研究において、2006年度より新たに「日韓発掘調査交流協約」を結び、双方の発掘現場への研究員の参加を中心とする研究交流をはじめた。本年度はその2年目に...
publisher奈良近年、全国各地で渡来系文物が確認されている。特に韓式系土器は、5世紀代を中心として多量に検出されており、この時代を特色づける渡来文化の一つとして位置づけられている。本研究助成は、...
薬師寺西僧房は1974年に奈良国立文化財研究所が調査し、既に報告書が刊行されている。西僧房は天禄4年(973)に焼失したことから、出土資料は、使用年代の下限がわかる一括資料として注目される。本稿では、...
山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経...
橿原市城殿町における住宅建設にともなう事前調査である。調査地は本薬師寺金堂跡より北方に約105mをへだて、平城京薬師寺の伽藍配置を参照すると、食堂後方の十字廊および東北僧房の小子房の位置に該当する(図...
調査地は近鉄西大寺駅の東に位置し、西隆寺南面回廊の外側に当たる。近年再開発が進む地域で、今回の調査もビル建設に伴う事前の調査としておこなった。調査地にはすでに撤去を終えた建物基礎が残っており、基礎の間...
今回の調査区は、奈良市登大路町に所在し、平城京条坊では、左京三条七坊四坪の西北隅、興福寺旧境内の西端に位置する(図144)。江戸時代の『興福寺伽藍春日社境内絵図』や寛政3年(1791)作成と推測される...
回の調査は奈良地方・家庭・簡易裁判所の建て替えにともなう緊急調査で、調査地は興福寺の子院・一乗院の東北隅にあたる。調査面積は63㎡、調査期間は2004年12月5日~12月9日であった。基本層序は上層か...
本調査は、平成10年度の中門、11年度の東面回廊等に続く、興福寺第I期境内整備事業の第3・4年次にあたる。調査区は、中金堂基壇を中心とする東西51m、南北36m、調査面積は1836㎡で、調査区内には中...
個人住宅の建設にともなう調査で、調査地は海龍王寺旧境内の東北隅にあたる。宅地造成の直前まで調査区の北側には、北に低い段差があった。調査面積は約22㎡(南北3.6m、東西6m)で、調査期間は2009年5...
本調査は、史跡川原寺跡における、奈良県風致保全課による園地広場建設にともなう発掘調査である。調査地は川原寺の寺域北部にあたり、伽藍地の北西から北に延びる丘陵の東裾に位置する。近年まで畑地として利用され...
この調査は、西大寺法寿院庫裡の立て替えに伴う事前調査として奈良市西大寺町で実施した。調査地は平城京右京一条三坊六坪、西大寺四王堂の北東に位置する。調査区は、東西8m、南北7.3mで、北に東西1.5m、...
本調査は個人住宅の建て替えに伴い、明日香村飛鳥で実施した事前調査である。調査地は飛鳥寺講堂の東方で、東面回廊と東面大垣のほほ中間に位置する。敷地内北東隅で東西15.0m・南北3.0m、調査面積45㎡の...
調査地は、法華寺旧境内地内の中心伽藍の北東部にあたる。法華寺関連施設の存在が想定されているものの、周辺は早くから集落化が進み、現状では住宅密集地となっている。このため後世の削平により遺構の残存状態は良...
京田辺市大御堂観音寺境内に所在する、古代寺院普賢寺の塔跡の地下探査調査成果報告。瓦積基壇の可能性を探るべく、地中レーダ探査と磁気探査を実施した。その結果、両探査法は瓦の分布を良好に捉えることができ、瓦...
当研究所では大韓民国・国立慶州文化財研究所との共同研究において、2006年度より新たに「日韓発掘調査交流協約」を結び、双方の発掘現場への研究員の参加を中心とする研究交流をはじめた。本年度はその2年目に...
publisher奈良近年、全国各地で渡来系文物が確認されている。特に韓式系土器は、5世紀代を中心として多量に検出されており、この時代を特色づける渡来文化の一つとして位置づけられている。本研究助成は、...
薬師寺西僧房は1974年に奈良国立文化財研究所が調査し、既に報告書が刊行されている。西僧房は天禄4年(973)に焼失したことから、出土資料は、使用年代の下限がわかる一括資料として注目される。本稿では、...
山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経...