富士山山頂の火口の様子を撮影したもの。山頂には大小2つの火口があり、中央には大きい方の大内院火口(だいないいんかこう)のすり鉢状の深くて急な崖が見える。左手には虎岩の突起があり、正面の外輪の高い峰が剣ヶ峰(けんがみね、標高3776m)である。頂上の斜面には積雪が残る。The summit of Mt. Fuji. There are two craters of different sizes. The deep, sharp ravine of Dainaiin Crater, the larger of the two, is visible in the centre. The rock on the left is Toraiwa, and the peak in the distance is Kengamine (alt. 3776m). Some snow still remains
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
墳煙が立ち上る様子を2人の男が覗き込んでいる。人物が立っているのは傾斜地に張り出した岩場で、現在活動している中岳の火口縁では考えられない。英文の説明から見て、「地獄」と呼ばれる噴気口であろうと考えられ...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
富士山山頂でお鉢廻りをする参拝者たちの様子を撮影したもの。山頂には大小2つの火口があり、その周りが外輪山となっている。神社や参拝所があり、ご来光や神社に参拝するためお鉢廻りをした。撮影者は、アメリカの...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
活火山として有名な阿蘇中岳の噴火口を明治37年(1904)に写した写真である。右奥には縁にしゃがんだ人物が居り、後ろから帯?を掴まれて火口を指差して覗き込んだり腹ばいになったポーズは演技であろう。阿蘇...
富士市鈴川(すずかわ)あたりの砂丘上にある茶畑から北方の富士山を遠望したもの。茅葺きの民家の先で丘陵は終わり、その先には東海道に面した鈴川の町屋(元吉原宿:もとよしわらしゅく)の瓦葺屋根が見える。瓦葺...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
松の樹幹が前面右側を斜めに区切り、その向う、松の枝越しに湖、遠景に富士山が見える。場所は特定できないが、風景の記録というより、美しい自然景観の写真表現になっている。A pine trunk divid...
かなり大きな農家の背後に雄大な富士が配されている。富士山東南斜面は植生限界が低く、冬は氷雪のみに覆われるという。冬の富士の美しさを堪能できる場所とはいえ、ここに暮らす人々にとって、その自然条件は厳しい...
富士火山を構成する熔岩に極めて多數であるが,本文に記載したものは其中次の6種である.1.橄欖石・亞灰長石玄武岩(F67-a)2.含複輝石‐橄欖石・亞灰長石玄武岩(F67-b)3.含普通輝石-橄欖石・亞...
目録番号5080・4147とほぼ同じ構図である。芦の湖畔の元箱根からの景で、手前の芦ノ湖、右手の箱根神社の杜、左手の三国山の裾野、その奥に台形の均整の取れた富士山を望む構図は、箱根を代表する風景として...
富士五湖のひとつである本栖湖の北西側から富士山を望んだ写真(「目録番号3338」)のステレオ写真である。写真注記には「文人画家に愛された壮麗なる富士、本栖湖の北西より望む」とあり、木立の間から奥行きあ...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
墳煙が立ち上る様子を2人の男が覗き込んでいる。人物が立っているのは傾斜地に張り出した岩場で、現在活動している中岳の火口縁では考えられない。英文の説明から見て、「地獄」と呼ばれる噴気口であろうと考えられ...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
富士山山頂でお鉢廻りをする参拝者たちの様子を撮影したもの。山頂には大小2つの火口があり、その周りが外輪山となっている。神社や参拝所があり、ご来光や神社に参拝するためお鉢廻りをした。撮影者は、アメリカの...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
活火山として有名な阿蘇中岳の噴火口を明治37年(1904)に写した写真である。右奥には縁にしゃがんだ人物が居り、後ろから帯?を掴まれて火口を指差して覗き込んだり腹ばいになったポーズは演技であろう。阿蘇...
富士市鈴川(すずかわ)あたりの砂丘上にある茶畑から北方の富士山を遠望したもの。茅葺きの民家の先で丘陵は終わり、その先には東海道に面した鈴川の町屋(元吉原宿:もとよしわらしゅく)の瓦葺屋根が見える。瓦葺...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
松の樹幹が前面右側を斜めに区切り、その向う、松の枝越しに湖、遠景に富士山が見える。場所は特定できないが、風景の記録というより、美しい自然景観の写真表現になっている。A pine trunk divid...
かなり大きな農家の背後に雄大な富士が配されている。富士山東南斜面は植生限界が低く、冬は氷雪のみに覆われるという。冬の富士の美しさを堪能できる場所とはいえ、ここに暮らす人々にとって、その自然条件は厳しい...
富士火山を構成する熔岩に極めて多數であるが,本文に記載したものは其中次の6種である.1.橄欖石・亞灰長石玄武岩(F67-a)2.含複輝石‐橄欖石・亞灰長石玄武岩(F67-b)3.含普通輝石-橄欖石・亞...
目録番号5080・4147とほぼ同じ構図である。芦の湖畔の元箱根からの景で、手前の芦ノ湖、右手の箱根神社の杜、左手の三国山の裾野、その奥に台形の均整の取れた富士山を望む構図は、箱根を代表する風景として...
富士五湖のひとつである本栖湖の北西側から富士山を望んだ写真(「目録番号3338」)のステレオ写真である。写真注記には「文人画家に愛された壮麗なる富士、本栖湖の北西より望む」とあり、木立の間から奥行きあ...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
墳煙が立ち上る様子を2人の男が覗き込んでいる。人物が立っているのは傾斜地に張り出した岩場で、現在活動している中岳の火口縁では考えられない。英文の説明から見て、「地獄」と呼ばれる噴気口であろうと考えられ...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...