不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を呈した。Shinobugaoka, a hill at Ueno, is viewed from the racetrack at Shinobazu Pond. The Western-style building on the right is Ueno Seiyoken Restaurant, which opened in 1876 as a branch of Kyobashi Seiyoken. It was a hotel and a restaurant frequented daily by many people
隅田川を挟んで浅草の反対側の地域を向島という。規定があるわけではないが、まあ木母寺(もくぼじ)の辺りから枕橋の辺りまでを向島と俗称するようである。向島の隅田川沿いの堤防は墨田堤と呼ばれ、また墨堤(ぼく...
横浜(整理番号55-12、41)、上野(同53-15)、向島(同53-40)等桜の名所を撮った古写真は非常に多い。本写真の場所は特定できないが、よしずを張った茶屋の様子等、当時の桜名所の風情をよく伝え...
円山公園の枝垂桜を南西側より東北東に望む。石垣と柵で囲われた大きな満開の枝垂桜の周囲は、花見に興じる大勢の人々で賑わっている。右奥に建つ也阿弥(やあみ)ホテルに続く参道の南側には、多くの茶店や露天が建...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
上野公園黒門通りを南から写したものである。右に大きく曲がった先に現在は東京国立博物館がある。正面の桜並木の奥の森に東照宮がある。人力車の車夫以外に人影が無く、まだ花見客もいない早朝の公園と思われる。K...
上野公園は桜の名所として明治以後現在まで花見客で賑わっている。桜は天海僧正が山桜を植えたのが始まりだが、明治以降ソメイヨシノが植えられた。茶店には数人の女性と子どもが、桜の下の縁台には男性が花見を楽し...
諏訪公園の噴水付近から西側を見た写真。明治25年から30年(1892~1897)頃。桜が咲き、桜色に彩色された華やかな写真である。右端に見える公園の噴水は、わが国最初の装飾噴水とされている。正面、柵の...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
人力車を連ねての上野公園の花見である。写真3155より数年後の撮影である。3155にある「精養軒支店」の立看板が無くなり、その右に植えられた桜が大きくなっている。左の休憩所に垂れ幕が取り付けられ、韻松...
左奥に芝増上寺の山門が見える。東京市街鉄道の三田~日比谷間の開通は明治37年(1904)6月である。本写真にはまだ路面電車の線路が敷かれていない。撮影したポンティング(Herbert George P...
不忍池中島は、古くからあった小島を足掛かりに、水谷伊勢守勝隆が上野の山の土で埋め立てて築いた人工の島である。天海僧正によって、琵琶湖竹生島の弁財天が勧請され、多くの参詣者で賑わった。これらの堂宇は昭和...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。写真は現在の紅葉坂。P...
隅田川を挟んで浅草の反対側の地域を向島という。規定があるわけではないが、まあ木母寺(もくぼじ)の辺りから枕橋の辺りまでを向島と俗称するようである。向島の隅田川沿いの堤防は墨田堤と呼ばれ、また墨堤(ぼく...
横浜(整理番号55-12、41)、上野(同53-15)、向島(同53-40)等桜の名所を撮った古写真は非常に多い。本写真の場所は特定できないが、よしずを張った茶屋の様子等、当時の桜名所の風情をよく伝え...
円山公園の枝垂桜を南西側より東北東に望む。石垣と柵で囲われた大きな満開の枝垂桜の周囲は、花見に興じる大勢の人々で賑わっている。右奥に建つ也阿弥(やあみ)ホテルに続く参道の南側には、多くの茶店や露天が建...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
上野公園黒門通りを南から写したものである。右に大きく曲がった先に現在は東京国立博物館がある。正面の桜並木の奥の森に東照宮がある。人力車の車夫以外に人影が無く、まだ花見客もいない早朝の公園と思われる。K...
上野公園は桜の名所として明治以後現在まで花見客で賑わっている。桜は天海僧正が山桜を植えたのが始まりだが、明治以降ソメイヨシノが植えられた。茶店には数人の女性と子どもが、桜の下の縁台には男性が花見を楽し...
諏訪公園の噴水付近から西側を見た写真。明治25年から30年(1892~1897)頃。桜が咲き、桜色に彩色された華やかな写真である。右端に見える公園の噴水は、わが国最初の装飾噴水とされている。正面、柵の...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
人力車を連ねての上野公園の花見である。写真3155より数年後の撮影である。3155にある「精養軒支店」の立看板が無くなり、その右に植えられた桜が大きくなっている。左の休憩所に垂れ幕が取り付けられ、韻松...
左奥に芝増上寺の山門が見える。東京市街鉄道の三田~日比谷間の開通は明治37年(1904)6月である。本写真にはまだ路面電車の線路が敷かれていない。撮影したポンティング(Herbert George P...
不忍池中島は、古くからあった小島を足掛かりに、水谷伊勢守勝隆が上野の山の土で埋め立てて築いた人工の島である。天海僧正によって、琵琶湖竹生島の弁財天が勧請され、多くの参詣者で賑わった。これらの堂宇は昭和...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。写真は現在の紅葉坂。P...
隅田川を挟んで浅草の反対側の地域を向島という。規定があるわけではないが、まあ木母寺(もくぼじ)の辺りから枕橋の辺りまでを向島と俗称するようである。向島の隅田川沿いの堤防は墨田堤と呼ばれ、また墨堤(ぼく...
横浜(整理番号55-12、41)、上野(同53-15)、向島(同53-40)等桜の名所を撮った古写真は非常に多い。本写真の場所は特定できないが、よしずを張った茶屋の様子等、当時の桜名所の風情をよく伝え...
円山公園の枝垂桜を南西側より東北東に望む。石垣と柵で囲われた大きな満開の枝垂桜の周囲は、花見に興じる大勢の人々で賑わっている。右奥に建つ也阿弥(やあみ)ホテルに続く参道の南側には、多くの茶店や露天が建...