撮影者未詳。‘FERRY BOAT AT ENOSHIMA'のタイトルがある。このタイトルから、本資料は片瀬と江ノ島を結ぶ渡し船の写真ととれるが、詳細は不明である。Photographer unknown. The title, "Ferry Boat at Enoshima," indicates that it depicts the ferry between Enoshima and Katase. However, no details are available
紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
大鳥居沖から神社に近づく漁船。漁船は舳先に帆を立て,艫の舵で操船している。宮参りの船であろうか。A fishing boat approaches Itsukushima Shinto Shrine....
琵琶島弁天の護岸を利用した舟着場。平潟湾を野島まで渡す舟であろう。乗船客の多くは房総方面からの大山参詣などの旅人と考えられる。琵琶島弁天は今も、金沢シーサイドラインの終着駅、金沢八景駅の近くに、写真に...
撮影者未詳。明治時代の写真か。‘Yenoshima'のタイトルがある。鎌倉七里ヶ浜からの眺めで、手前に馬子(まご)と荷馬車が写り、右側に小動岬(こゆるぎみさき)と腰越(こしごえ)の集落がある。ところで...
玉村康三郎(1856??)撮影。満潮時と思える江ノ島の風景で、島の正面に木橋が架かっている。島に渡る橋は明治に入るまでなかったといい、“THE FAR EAST"(写真貼込み英字新聞)の1872年4月...
由比ヶ浜からの江ノ島とあるが、写っているのは小動岬のようであるから、おそらく手前の七里ヶ浜よりの撮影か。立っている人物は渡し舟の船頭らか。Entitled "Enoshima from Yuigaha...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
撮影者未詳。‘L25 ENOSHIMA'のタイトルがある。画面左は漁師小屋か。ところで江ノ島については、古くは『吾妻鏡』に、寿永元年(1182)4月5日、文覚(もんがく)が当地に「大弁才天」を勧請した...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
本コレクション中に同一写真があり、それには「View of Matsushima」とある。したがって本写真も松島風景と見て間違いない。舟は典型的な小型帆掛け舟であり、司馬江漢描く「品川富士遠望図」の舟...
向島竹屋の渡の渡場と思われる。同じ時川下から同じ人物で写した写真が残されている。その写真には上流に寺島の渡が望め、中央に立つ人の前から川面に下りる石段が写っている。ただしこの舟は渡し舟ではなく、舟遊び...
江ノ島の南の岩場。左手の岡の下に家があり、右手に海が見える。The rocky wharf to the south of Enoshima. A house stands under the hil...
紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
大鳥居沖から神社に近づく漁船。漁船は舳先に帆を立て,艫の舵で操船している。宮参りの船であろうか。A fishing boat approaches Itsukushima Shinto Shrine....
琵琶島弁天の護岸を利用した舟着場。平潟湾を野島まで渡す舟であろう。乗船客の多くは房総方面からの大山参詣などの旅人と考えられる。琵琶島弁天は今も、金沢シーサイドラインの終着駅、金沢八景駅の近くに、写真に...
撮影者未詳。明治時代の写真か。‘Yenoshima'のタイトルがある。鎌倉七里ヶ浜からの眺めで、手前に馬子(まご)と荷馬車が写り、右側に小動岬(こゆるぎみさき)と腰越(こしごえ)の集落がある。ところで...
玉村康三郎(1856??)撮影。満潮時と思える江ノ島の風景で、島の正面に木橋が架かっている。島に渡る橋は明治に入るまでなかったといい、“THE FAR EAST"(写真貼込み英字新聞)の1872年4月...
由比ヶ浜からの江ノ島とあるが、写っているのは小動岬のようであるから、おそらく手前の七里ヶ浜よりの撮影か。立っている人物は渡し舟の船頭らか。Entitled "Enoshima from Yuigaha...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
撮影者未詳。‘L25 ENOSHIMA'のタイトルがある。画面左は漁師小屋か。ところで江ノ島については、古くは『吾妻鏡』に、寿永元年(1182)4月5日、文覚(もんがく)が当地に「大弁才天」を勧請した...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
本コレクション中に同一写真があり、それには「View of Matsushima」とある。したがって本写真も松島風景と見て間違いない。舟は典型的な小型帆掛け舟であり、司馬江漢描く「品川富士遠望図」の舟...
向島竹屋の渡の渡場と思われる。同じ時川下から同じ人物で写した写真が残されている。その写真には上流に寺島の渡が望め、中央に立つ人の前から川面に下りる石段が写っている。ただしこの舟は渡し舟ではなく、舟遊び...
江ノ島の南の岩場。左手の岡の下に家があり、右手に海が見える。The rocky wharf to the south of Enoshima. A house stands under the hil...
紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
大鳥居沖から神社に近づく漁船。漁船は舳先に帆を立て,艫の舵で操船している。宮参りの船であろうか。A fishing boat approaches Itsukushima Shinto Shrine....