七代将軍家継の霊廟。左端にあるのが拝殿中門である。中央やや右寄りに映っている建物は鐘楼。水盤舎のあたりからの撮影。The tomb of the 7th Shogun Ietsugu. The left corner is the middle gate of the hall of worship. In the centre slightly to the right is the bell tower. Taken from around the water basin
文昭院霊廟の御霊殿と奥院を仕切る門を御霊殿側から写したものである。文昭院の奥院はこの仕切門から最奥の宝塔まで一直線に配置されていた。後に十二代家慶、十四代家茂の廟が付設されるが、この配置に変更はなかっ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
増上寺内に祀られていた将軍霊廟の一つである有章院霊廟の中門とその奥にある勅額門。金箔や透かし彫りの豪華な配置が目を奪う。The middle gate of the Yushoin which is ...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
増上寺は浄土宗六大本山のひとつで、徳川家の菩提寺。有章院は七代将軍徳川家継の法号。勅額門は銅板葺で軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門。左手前からの撮影(整理番号27-2および整理番号42-44を見よ)...
目録番号4163よりも前廊を拝殿側に進んだ位置から撮影したものである。この写真では、左右廊及び前廊の床が四半石敷であり、また柱の間は壁がなく開放となっていることが分かる。貫には葵紋のほか華麗な装飾が施...
写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。T...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
六代将軍家宣の霊廟文昭院の勅額門を内側から撮った写真。本柱と前柱の間には鳳凰の彫刻が施されている。A photo of the Chokugaku Gate from the interior of ...
文昭院霊廟奥院中門を石段下から見上げるように写したものである。片側の扉を開けて内部の宝塔を見せる演出が加えられている。将軍の廟(墓)は、このように何段もの石段を登った最も奥の高い位置に築かれた。Thi...
文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を目録番号4162の仕切門をくぐった位置から撮影したものである。奥院には、この石段を登り、唐門をくぐった先に拝殿があり、さらにその先に目録番号2641の石段と青銅製...
文昭院霊廟の御霊殿と奥院を仕切る門を御霊殿側から写したものである。文昭院の奥院はこの仕切門から最奥の宝塔まで一直線に配置されていた。後に十二代家慶、十四代家茂の廟が付設されるが、この配置に変更はなかっ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
増上寺内に祀られていた将軍霊廟の一つである有章院霊廟の中門とその奥にある勅額門。金箔や透かし彫りの豪華な配置が目を奪う。The middle gate of the Yushoin which is ...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
増上寺は浄土宗六大本山のひとつで、徳川家の菩提寺。有章院は七代将軍徳川家継の法号。勅額門は銅板葺で軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門。左手前からの撮影(整理番号27-2および整理番号42-44を見よ)...
目録番号4163よりも前廊を拝殿側に進んだ位置から撮影したものである。この写真では、左右廊及び前廊の床が四半石敷であり、また柱の間は壁がなく開放となっていることが分かる。貫には葵紋のほか華麗な装飾が施...
写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。T...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
六代将軍家宣の霊廟文昭院の勅額門を内側から撮った写真。本柱と前柱の間には鳳凰の彫刻が施されている。A photo of the Chokugaku Gate from the interior of ...
文昭院霊廟奥院中門を石段下から見上げるように写したものである。片側の扉を開けて内部の宝塔を見せる演出が加えられている。将軍の廟(墓)は、このように何段もの石段を登った最も奥の高い位置に築かれた。Thi...
文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を目録番号4162の仕切門をくぐった位置から撮影したものである。奥院には、この石段を登り、唐門をくぐった先に拝殿があり、さらにその先に目録番号2641の石段と青銅製...
文昭院霊廟の御霊殿と奥院を仕切る門を御霊殿側から写したものである。文昭院の奥院はこの仕切門から最奥の宝塔まで一直線に配置されていた。後に十二代家慶、十四代家茂の廟が付設されるが、この配置に変更はなかっ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...