明治4年秋の宮の下温泉の眺望である。右手奥に見えるのは、和風の奈良屋旅館で、早くから外人客が多かった。まだ、人力車が通れる広い道はなく、旅行者は山駕籠に頼った。右手の山は明星岳である。A view of Miyanoshita Hot Springs in the autumn of 1872. In the right background is the Japanese-style Naraya Hotel, where many foreigners stayed there from the early days. There were still no wide roads where rickshaws could pass, so travelers had to rely on palanquins. The mountain to the right is Myojodake
芦の湯温泉の全景。中央は松阪屋。其の右が吉田屋。松阪屋の左奥が紀伊国屋、紀伊国屋の手前が伊勢屋、左が亀屋、一番左が大黒屋思われる。整理番号5-18と比べると家の数が少なそれ以前の写真であろう。An o...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...
塔の沢温泉の写真で、左が元湯環水楼、右が一の湯。どちらも箱根の老舗の旅館で、環水楼は、公武合体運動のヒロイン皇女和宮が亡くなった所である。和宮の心を沈ませた早川の流れの上には、玉緒橋が掛かっている。A...
明星ヶ岳の尾根から眺めた宮の下の全景で、珍しい構図。中央の白亜の洋館は奈良屋旅館、背後に富士屋ホテルが見える。後方の集落は小涌谷で、白い建物は三井家別荘層雲閣。画面右下はベルツの別荘の可能性がある。T...
宮の下の奈良屋旅館の写真。現在も、建物と樹木は、ほぼ同じ状態で存在するが、今で は、国道一号線が樹木の間近を通っている。 奈良屋旅館は、箱根でも老舗の旅館で、明治 天皇や昭憲皇后を初め、貴賓が多く宿泊...
宮の下の老舗奈良屋旅館の和風建築である。七湯の栞等の資料とよく一致する。明治16年の大火で消失したが、それ以前の写真はほとんど残っていないので、貴重な一枚である。明治六年明治天皇の行幸の行在所となった...
明治16年(1883)の宮ノ下大火後、明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館と、その庭に集う人々。池の前に座った山高帽の紳士が外国人の宿泊客で、周囲の男女は、富士屋ホテルの従業員であろう。...
宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。...
見晴らし茶屋(現在の清寂苑辺り)から見た木賀温泉。宮の下と宮城野を結ぶ道(現在の国道138号線)と須沢川の橋が明確に見え、旅館数も多く、明治25年(1892)の大火前の木賀が最も繁栄していた頃の写真で...
右手の白亜の建物が明治16年(1883)の宮ノ下大火後、明治20年(1887)に竣工した奈良屋ホテル洋館である。左手の建物は明治19年(1886)に建造された富士屋ホテルのハミテージで、明治24年(1...
湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、...
明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館の写真である。日本館の内外に大勢の人々が立っている姿が見える。庭には噴水も水を噴き上げている。目録番号4105と比べると、日本館の前の立ち木がまだ支柱...
早川沿いに並ぶ塔の沢温泉の家並み。左隅は明治43年の大水害で流失前の福住樓である。現在はホテル紫雲荘の上手に当たる。左手塔の峯の中腹に見えるのは、ロシア正教のハリストス教会で、ロシア人の避暑館とされた...
芦の湯温泉の全景。中央は松阪屋。其の右が吉田屋。松阪屋の左奥が紀伊国屋、紀伊国屋の手前が伊勢屋、左が亀屋、一番左が大黒屋思われる。整理番号5-18と比べると家の数が少なそれ以前の写真であろう。An o...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...
塔の沢温泉の写真で、左が元湯環水楼、右が一の湯。どちらも箱根の老舗の旅館で、環水楼は、公武合体運動のヒロイン皇女和宮が亡くなった所である。和宮の心を沈ませた早川の流れの上には、玉緒橋が掛かっている。A...
明星ヶ岳の尾根から眺めた宮の下の全景で、珍しい構図。中央の白亜の洋館は奈良屋旅館、背後に富士屋ホテルが見える。後方の集落は小涌谷で、白い建物は三井家別荘層雲閣。画面右下はベルツの別荘の可能性がある。T...
宮の下の奈良屋旅館の写真。現在も、建物と樹木は、ほぼ同じ状態で存在するが、今で は、国道一号線が樹木の間近を通っている。 奈良屋旅館は、箱根でも老舗の旅館で、明治 天皇や昭憲皇后を初め、貴賓が多く宿泊...
宮の下の老舗奈良屋旅館の和風建築である。七湯の栞等の資料とよく一致する。明治16年の大火で消失したが、それ以前の写真はほとんど残っていないので、貴重な一枚である。明治六年明治天皇の行幸の行在所となった...
明治16年(1883)の宮ノ下大火後、明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館と、その庭に集う人々。池の前に座った山高帽の紳士が外国人の宿泊客で、周囲の男女は、富士屋ホテルの従業員であろう。...
宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。...
見晴らし茶屋(現在の清寂苑辺り)から見た木賀温泉。宮の下と宮城野を結ぶ道(現在の国道138号線)と須沢川の橋が明確に見え、旅館数も多く、明治25年(1892)の大火前の木賀が最も繁栄していた頃の写真で...
右手の白亜の建物が明治16年(1883)の宮ノ下大火後、明治20年(1887)に竣工した奈良屋ホテル洋館である。左手の建物は明治19年(1886)に建造された富士屋ホテルのハミテージで、明治24年(1...
湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、...
明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館の写真である。日本館の内外に大勢の人々が立っている姿が見える。庭には噴水も水を噴き上げている。目録番号4105と比べると、日本館の前の立ち木がまだ支柱...
早川沿いに並ぶ塔の沢温泉の家並み。左隅は明治43年の大水害で流失前の福住樓である。現在はホテル紫雲荘の上手に当たる。左手塔の峯の中腹に見えるのは、ロシア正教のハリストス教会で、ロシア人の避暑館とされた...
芦の湯温泉の全景。中央は松阪屋。其の右が吉田屋。松阪屋の左奥が紀伊国屋、紀伊国屋の手前が伊勢屋、左が亀屋、一番左が大黒屋思われる。整理番号5-18と比べると家の数が少なそれ以前の写真であろう。An o...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...
塔の沢温泉の写真で、左が元湯環水楼、右が一の湯。どちらも箱根の老舗の旅館で、環水楼は、公武合体運動のヒロイン皇女和宮が亡くなった所である。和宮の心を沈ませた早川の流れの上には、玉緒橋が掛かっている。A...