四天王寺伽藍の一部をなす五重の塔。享和元年12月5日落雷により焼失し、文化9年に再建されたものが、本被写体に当たる。昭和20年戦火により諸堂は再び焼失、昭和38年までに鉄筋で再建され、現在に至っている。The five-story tower at Shitenoji Temple was destroyed by fire after being struck by lightning on December 5, 1801. The tower restored in 1813 is seen in this photo. The buildings were destroyed by fire during the war in 1945 but were restored again in 1963 using reinforced concrete
2414の写真と似ているが、鐘楼の手前に車井戸が掘られた。それに左の弁天池がなくなっているのが異なる。弁天池は明治19年(1886)6月30日に埋められたので、当然それ以降の撮影である。右下のネガ番号...
中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場...
四天王寺の五重塔から西方向を見たところ。手前は回廊と西重門、その上は経蔵で左上に見えるのは西大門である。View from the five-story pagoda at Shitenoji Tem...
四天王寺伽藍の一部をなす五重の塔。奥に中門、手前に金堂が見える。現在の諸堂は、戦火による焼失後、昭和38年までに鉄筋にて再建されたものである。The five-story pagoda which f...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
弁天池から五重塔を望む。五重塔は天慶5年(942)安房守平公雅(あわのかみたいらのきんまさ)の創建にかかると伝えられている。本写真に写る塔は慶安元年(1648)に再建されたものである。明治44年(19...
仁和寺五重塔を塔西側から東に見上げる。辺りには小高い松の木と、御室桜が植えられている。手前の左右に続く参道は仁和寺の仁王門と金堂をつなぐ。仁和寺五重塔は寛永14年(1637)に徳川家光が創建した。各方...
幸田露伴『五重塔』にも描かれた天台宗天王寺の墓地。手前に人力車、その向こうにあるのは荷車か。道沿いに松や桜が並んでいる。五重塔は昭和32年心中放火事件のため消失。現在は礎石のみが残る。徳川慶喜の墓があ...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
寛永8年(1631)幕府重臣土井利勝が建立し上野東照宮に寄進。寛永16年(1639)薬師堂からの出火で類焼。写真の塔は同年土井利勝が再建したもの。手前は東照宮の石灯籠。参道の北側、上野動物園の敷地内に...
寛永16年(1639)に古河城主土井利勝によって再建されたもの。手前の石灯籠は上野東照宮参道に並ぶもので、左手が東照宮本殿となる。本来は東照宮の五重塔であったが明治の神仏分離によって寛永寺に帰属した。...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
日光東照宮の五重塔は、慶安3(1650)年に小浜藩主・酒井忠勝の寄進で建てられた。文化12(1815)年に焼失したが、文政元(1818)年に酒井忠進が再建した。高さ約36メートル。塔の第一層は方角を表...
法観寺五重塔を西側参道から東に見上げる。ガス灯が建つ参道には、大勢の参詣人が往来し賑わっている。五重塔は八坂の塔とも呼ばれ、永享12年(1440)に足利義教により建立され、元和4年(1618)に大修理...
2414の写真と似ているが、鐘楼の手前に車井戸が掘られた。それに左の弁天池がなくなっているのが異なる。弁天池は明治19年(1886)6月30日に埋められたので、当然それ以降の撮影である。右下のネガ番号...
中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場...
四天王寺の五重塔から西方向を見たところ。手前は回廊と西重門、その上は経蔵で左上に見えるのは西大門である。View from the five-story pagoda at Shitenoji Tem...
四天王寺伽藍の一部をなす五重の塔。奥に中門、手前に金堂が見える。現在の諸堂は、戦火による焼失後、昭和38年までに鉄筋にて再建されたものである。The five-story pagoda which f...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
弁天池から五重塔を望む。五重塔は天慶5年(942)安房守平公雅(あわのかみたいらのきんまさ)の創建にかかると伝えられている。本写真に写る塔は慶安元年(1648)に再建されたものである。明治44年(19...
仁和寺五重塔を塔西側から東に見上げる。辺りには小高い松の木と、御室桜が植えられている。手前の左右に続く参道は仁和寺の仁王門と金堂をつなぐ。仁和寺五重塔は寛永14年(1637)に徳川家光が創建した。各方...
幸田露伴『五重塔』にも描かれた天台宗天王寺の墓地。手前に人力車、その向こうにあるのは荷車か。道沿いに松や桜が並んでいる。五重塔は昭和32年心中放火事件のため消失。現在は礎石のみが残る。徳川慶喜の墓があ...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
寛永8年(1631)幕府重臣土井利勝が建立し上野東照宮に寄進。寛永16年(1639)薬師堂からの出火で類焼。写真の塔は同年土井利勝が再建したもの。手前は東照宮の石灯籠。参道の北側、上野動物園の敷地内に...
寛永16年(1639)に古河城主土井利勝によって再建されたもの。手前の石灯籠は上野東照宮参道に並ぶもので、左手が東照宮本殿となる。本来は東照宮の五重塔であったが明治の神仏分離によって寛永寺に帰属した。...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。One of the seven buildings built by Shotoku Taishi. The picture is...
日光東照宮の五重塔は、慶安3(1650)年に小浜藩主・酒井忠勝の寄進で建てられた。文化12(1815)年に焼失したが、文政元(1818)年に酒井忠進が再建した。高さ約36メートル。塔の第一層は方角を表...
法観寺五重塔を西側参道から東に見上げる。ガス灯が建つ参道には、大勢の参詣人が往来し賑わっている。五重塔は八坂の塔とも呼ばれ、永享12年(1440)に足利義教により建立され、元和4年(1618)に大修理...
2414の写真と似ているが、鐘楼の手前に車井戸が掘られた。それに左の弁天池がなくなっているのが異なる。弁天池は明治19年(1886)6月30日に埋められたので、当然それ以降の撮影である。右下のネガ番号...
中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場...
四天王寺の五重塔から西方向を見たところ。手前は回廊と西重門、その上は経蔵で左上に見えるのは西大門である。View from the five-story pagoda at Shitenoji Tem...