写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。The caption reads "Inside of Shiba temple, Tokyo" in English. This is a photo of the inner worship hall of the Yushoin, which enshrines the tomb of the seventh Tokugawa Shogun Ietsugu, within the premises of Zojoji Temple in Shiba. The dazzling glamour of the interior destroyed during the Great Kanto Earthquake can be observed
有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
第六代将軍家宣の霊廟文昭院。 階段の前で頭を下げる男たちの真中にいるの武家らしい。 両端の二人は従者であろう。Bunshoin, the tomb of the sixth Shogun Tokuga...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
勅額門の名が示すように、中御門帝の宸筆の額「有章院」を掲げている。竜の彫刻が施された控柱をはじめ、豪華な彫り物で飾られた有章院の勅額門は、徳川家霊廟のほとんどの建築と共に昭和20年3月10日の東京大空...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
六代将軍家宣の霊廟文昭院の勅額門を内側から撮った写真。本柱と前柱の間には鳳凰の彫刻が施されている。A photo of the Chokugaku Gate from the interior of ...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残...
英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。The English ...
タイトルに 「二代将軍霊廟」 とある。 秀忠の霊廟台徳院の門前である。The caption reads "tomb of second Shogun." It is the front gate o...
有章院御霊殿の勅額門(右)と鐘楼である。徳川家霊廟御霊殿拝殿前庭には、勅額門に向かって左に鐘楼、右に水屋と井戸屋形を配するのが典型的な姿である。この鐘楼は、昭和20年3月10日の空襲からは焼失を逃れた...
目録番号4163よりも前廊を拝殿側に進んだ位置から撮影したものである。この写真では、左右廊及び前廊の床が四半石敷であり、また柱の間は壁がなく開放となっていることが分かる。貫には葵紋のほか華麗な装飾が施...
有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
第六代将軍家宣の霊廟文昭院。 階段の前で頭を下げる男たちの真中にいるの武家らしい。 両端の二人は従者であろう。Bunshoin, the tomb of the sixth Shogun Tokuga...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
勅額門の名が示すように、中御門帝の宸筆の額「有章院」を掲げている。竜の彫刻が施された控柱をはじめ、豪華な彫り物で飾られた有章院の勅額門は、徳川家霊廟のほとんどの建築と共に昭和20年3月10日の東京大空...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
六代将軍家宣の霊廟文昭院の勅額門を内側から撮った写真。本柱と前柱の間には鳳凰の彫刻が施されている。A photo of the Chokugaku Gate from the interior of ...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残...
英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。The English ...
タイトルに 「二代将軍霊廟」 とある。 秀忠の霊廟台徳院の門前である。The caption reads "tomb of second Shogun." It is the front gate o...
有章院御霊殿の勅額門(右)と鐘楼である。徳川家霊廟御霊殿拝殿前庭には、勅額門に向かって左に鐘楼、右に水屋と井戸屋形を配するのが典型的な姿である。この鐘楼は、昭和20年3月10日の空襲からは焼失を逃れた...
目録番号4163よりも前廊を拝殿側に進んだ位置から撮影したものである。この写真では、左右廊及び前廊の床が四半石敷であり、また柱の間は壁がなく開放となっていることが分かる。貫には葵紋のほか華麗な装飾が施...
有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
第六代将軍家宣の霊廟文昭院。 階段の前で頭を下げる男たちの真中にいるの武家らしい。 両端の二人は従者であろう。Bunshoin, the tomb of the sixth Shogun Tokuga...