本稿は、木簡学会静岡特別研究集会公開シンポジウム(二〇一八年六月)での講演、ならびに国立歴史民俗博物館「日本列島社会の歴史とジェンダー」(二〇一八年一〇月研究会)、岡山大学文学部「ジェンダーの多層性に関する領域横断的研究」(二〇一九年三月研究会)における報告を踏まえて、京都大学大学院文学研究科史学研究会(二〇二〇年四月)において予定していた発表内容を再構成したものである。律令制成立期の調布(端を単位とする布)と庸布(常・段を単位とする布)の令規定における布長の差異に着目すると、性別分業により女性が習得する直状式有機台腰機と輪状式無機台腰機の二系統の製織技術に一致することが、甲塚古墳の機織形埴輪等から判明する。続いて、遠江国敷智郡衙に比定される静岡県伊場遺跡の出土資料等の分析から、郡衙を拠点とした端布生産と集落での段布生産とが重層する状況を指摘し、正倉院に伝わる布資料等からその実態を確認する。さらに、古墳時代後期に遡ってみると、二系統の腰機により幅五〇~六〇㎝の布が織られたことが出土部材から判明し、令規定における幅約七一㎝までは身体長による制約を受けないことが民族例等により推察できる。麻素材による布の織成は、女性が変わらず保持した生業技術であり、生産労働として統率した首長層女性の神格化と結びつき継承されたことが「大刀自」銘紡錘車等から読みとれる。During the period of the establishment of the Ritsuryō state, there are two types of cloth paid as tax: chōfu 調布 paid as a basic tax in kind and measured in tan 端, and y...