application/pdf本稿は幕末期に弘前藩において種痘がどのように受容されたかということと、幕末期に行われた医学制度の改革である医学館の創立を、蘭学の受容や種痘の実施と絡めて考察したものである。 弘前藩領における本格的な蘭学の受容は文化年間以降に始まるものと思われるが、その際重要な人物は、芝蘭堂に学んだ福野田村(現北津軽郡板柳町福野田)の在村医高屋東助である。彼は寛政四年(一七九二)五月五日に入門が許されており、今のところどのような経緯で入門ができたのか全く不明な人物である。東助はのち郷里に帰って地域医療に従事し、ここに在村医による蘭学の導入がみられた。芝蘭堂にはその後文化十年(一八一一)に藩医の三上隆圭が学んでおり、藩医でも蘭学を志す者が出てくる。 このように蘭学を志す者が多くなっていったが、その成果の一例として種痘の受容に焦点をあてて考察してみた。弘前藩領においては嘉永五年(一八五二)四月に秋田の医者板垣利齋が木造(現西津軽郡木造町)あたりで三十人程に種痘を実施したのが種痘実施の最初の様である。この利齋の動きに刺激されたためか、弘前藩医の中でも種痘を実施しようという動きがでてくる。その中心が藩医唐牛昌運とその弟昌考である。しかし、残念ながら弘前藩においては積極的な種痘の導入は図られなかった。 唐牛兄弟の種痘はうまくいかなかったが、ある程度種痘を成功させ、普及していったのは幕末期に弘前藩の蘭方医として活躍した佐々木元俊である。元俊は自身が多くの人々に種痘を実施した他、当時創設されていた医学館に種痘館を併設させ、そこで弘前領内の医師に種痘技術を伝授する方法をとった。この元俊の活動を理解しバックアップしてくれたのが、医学館を創設し、医学制度の改革を積極的に実施した医学館...
application/pdf八世紀後半から九世紀前半にかけて,光仁・桓武王権は東北蝦夷の「反乱」に対し,大規模な軍事行動を起こした。いわゆる三十八年戦争である。王権は軍事的・政治的拠点として胆沢城,...
application/pdf地域蘭学の展開を考えるにあたり、これまでの在村蘭学研究において都市域を扱った研究が少なかった点をふまえ、本稿では、江戸時代中・後期に大坂で活躍した町人知識人である木村蒹葭...
application/pdfこれまで中世村落の一年は、農事暦が形づくる農民の四季として描かれてきた。しかし、農業に内部化しない外部的複合の生業パターンをもつ海村においては、海辺という立地環境に応じた...
本稿は幕末期に弘前藩において種痘がどのように受容されたかということと、幕末期に行われた医学制度の改革である医学館の創立を、蘭学の受容や種痘の実施と絡めて考察したものである。弘前藩領における本格的な蘭学...
application/pdf文化一一年(一八一四)に宇和島藩領の宇和郡八代村(愛媛県八幡浜市)八尺神社の神職の家に生まれた堅庭は、地元の八幡浜本町の医師二宮春祥に医学を学んだ後、嘉永元年(一八四八)...
本稿では、北陸の「技術文化」の諸事例を紹介し、地域社会における蘭学知識との影響関係を確認するため、加賀藩域を中心とした概括的な検証を試みた。江戸後期、「科学技術」をめぐる諸制度・研究・交流及び器具や製...
本稿は、日本の近代化の先駆けであり、薩摩藩の近代科学技術の導入とその実践の場であった「集成館事業」の背景としての視点から、薩摩藩の蘭学受容の実際とその変遷について考察したものである。薩摩藩の蘭学は、近...
application/pdf本稿は、文政二・三年(一八一九・二〇)に刊行された医師名鑑『江戸今世医家人名録』を素材として、巨大都市=江戸に達成された「医療」環境の実態を、蘭方医学普及の動向に即しつつ...
application/pdf本稿では、日露戦後の民間において活発化した軍事救護―国家主体論、兵役税導入論の論理、意図の検証を行う。あえてそのような作業を試みるのは、そこに徴兵制とは国家救護という手段...
application/pdf本稿は、中世日本における外来技術の伝来に関して、それを可能にするための条件ないし背景や、伝来技術の移転についての試論である。 第一に、国家や地域権力といった公権力が、技術...
application/pdf『常陸国風土記』には,7世紀中葉における信太,行方,香島,多珂,石城などの諸評(郡)の建評記事がみられ,国造制にもとづく新治,筑波,茨城,那珂,久慈,多珂の6国が12の評...
application/pdf大原幽学は、全国を流浪した後、下総国香取郡長部村(千葉県干潟町)に居を定め、産業組合組織による耕地整理・農業技術改良・農作業の計画化・消費物資の共同購入といった方法で、天...
application/pdfここでの問題意識は、民衆・常民の視点、民衆・常民の側に立った史学、文化史が民間伝承の学(民俗学)の本質とするならば、語りの部分、語られた部分を基礎に、戦争をとらえていくこ...
application/pdf戊辰戦争期に江戸で生活していた多くの市民・民衆は、東征軍による江戸駐留に対して拒否的な反応を示していた。「新政府」は江戸民衆のそうした政治意識を圧殺・再編せざるを得ず、両...
application/pdf本論は、山伏神楽・番楽と結びつけて考えられることの多かった権現舞と獅子舞を、その主な担い手であった修験者との関わりの中で考察した。 東北地方では、中世期以降、修験者が地域...
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