ランヴァク遺跡は,ベトナムのゲアン省に所在するドンソン文化期,紀元前1~2世紀頃の遺跡である。この時代は,ちょうど日本の弥生時代のように,個性的な青銅器が発達し,鉄器の製作,使用も開始され,稲作を基礎とした社会が国家形成に向けて大きな変化を見せた時代である。1990~1991年ベトナム日本共同調査隊が行った発掘調査では,現在水田となっている谷をはさんで,東側の墓地遺跡(ランヴァク地点)と西側の集落址(ソムディン地点)が調査された。青銅器との関連で重要なことは,墓地遺跡で砂岩製の斧の鋳型が出土し,集落址では鋳型片や溶けた青銅の付着した土器から青銅器鋳造に使われたとみられる炉址が発見されたことである。ランヴァク遺跡はドンソン文化の広がりのなかではかなり南に位置し,ベトナム北部,中国南部ばかりでなく,ベトナム中・南部のサフィン文化やタイのバンチェン文化など周辺の広い地域との関連が見られる。ベトナムではこれまで鉛同位体の分析がおこなわれたことを聞かないが,今回のランヴァク資料の分析結果は,中国最南部の雲南や広西産の鉛の同位体比の範囲内に入るものであった。このことはランヴァクの青銅器が華南の原料で鋳造されたことを意味するかのごとくであるが,すぐにそう結論することはできない。中国のこの地域の青銅器については,主に戦国時代以後の銅鼓が鉛同位体分析の対象にとりあげられているが,その結果をみると,華北や四川省の殷周時代の青銅器とは異なり,地元の鉛との一致の傾向が顕著である。同じ状況がベトナムの青銅器についても当てはまるのかもしれない。ベトナム産鉛の同位体比の確認が緊急の課題である。今後南中国から東南アジア全体におよぶ広大な地域において青銅器原料の供給地と鋳造地の関係が解明されるなら,東南アジア...
本論は,日本列島・古墳時代および韓半島・三国時代の古墳・集落出土土器資料を対象に,5世紀代における栄山江流域を中心とする全羅道地域と日本列島中央部に位置する近畿地域との相互交流の実態を探ろうとするもの...
application/pdf群馬県内の終末期古墳では普遍的に存在する,横穴式石室の前面に広がる前庭構造について,従来は,古墳時代後期に群馬県地域で独自に土着した構造であると解釈されていた。しかし,近...
application/pdfこれまで,山陰地方における縄文時代から弥生時代への移行は,比較的スムーズではあったものの,その一方でダイナミックなものであると想定されてきた[山田2009:178-179...
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application/pdf古墳時代後期の6世紀に日本列島の各地で造営された墳丘長60メートル以上の大型前方後円墳の数を比軟すると,他の諸地域に比べ関東地方にきわめて多いことが知られる。律令体制下の...
鋳鉄鋳物は,こわれると地金として再利用されるため,資料数は少ないが,古代・中世の鍋釜について消費遺跡出土品・生産遺跡出土鋳型・社寺所蔵伝世品の資料を集成した。これらは,羽釜・鍋A・鍋B・鍋C・鍋I・鉄...
東日本の初期弥生文化を特徴づける墓制は,再葬墓である。再葬は,いったん遺体を土中に埋めたりして骨になるのを待ち,再びそれを埋葬する葬法をさす。この時期,とくに壺棺が蔵骨器として多用されるために,そうし...
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application/pdf民俗学において,「常民」という概念は,この学問のキー概念であるにもかかわらず,その概念自体が揺れ動くという奇妙な性格を備えた概念である。しかしながら考え直せば,逆にキー概...
application/pdf水中遺跡、特に沈没船は、当時の様子をそのまま残していることがあり、交易のメカニズムを伝えるタイムカプセルに例えられる。諸外国では一九世紀から水中遺跡を研究対象として捉え、...
application/pdf本稿は,柳田國男が大正9年の暮れから大正10年の3月にかけておこなった南島紀行の成果である『海南小記』ならびに『炭焼小五郎が事』において,沖縄の職人文化の伝承をどのように...
考古学からみた江戸は市中を中心に進んだ発掘調査によって全貌が徐々に明らかにされつつある。特に焼物をつかって江戸市民の暮しの復原や武家と町民の比較研究も盛んである。江戸時代の焼物には広域にわたって流通す...
エリとは,湖沼河川の浅い水域に設けられる定置性の陥穽漁法であり,全長1㎞にも及ぶ大型かつ精巧なエリは,琵琶湖にしかみられないものとされてきた。本研究では,近世・近代史料の分析から琵琶湖のエリの発達史に...
application/pdf宮城県に在住する刀匠・九代法華三郎信房氏とご子息の栄喜氏のご協力により,代々継承している作刀技術のうち,「卸し鉄」「折り返し鍛錬」「焼き入れ」の3つについて,自然科学的な...
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