中世前期の国家理念では、俗人教育の低さから、いきおい聖職者への依存度がまし、聖俗の協力関係を強調する神政君主制理念が圧倒的であった。イギリスでは、ウィリアム一世がその代表であろう。しかし、グレゴリウス改革を契機にして、従来の国家理念に対する疑問が提出されるようになった。つまり、世俗君主権は神には由来せずとして、神政君主制理念を破壊してしまった。このような教皇庁からの挑戦に対し、ウィリアム二世、ヘンリー一世の時代には、従前のごとき神政君主制理念の再確認が力説されたが、この時代よりみられる北仏での俗人教育の開始、俗人役人の出現、ヘンリー二世の君主国の確立などをその歴史的背景として、国家観の世俗化、つまり、君主権は神に由来することを前提にしながらも、国家活動自体のなかに国家存続の基礎をみいだすアリストテレス的国家観への移行がみいだせる(例 財務府長官R・フィッニゲル、ジャスティシアR・グランヴィル、思想家ジョン・オヴ・ソールズベリー)。このようにして宗教的社会、つまり中世が、もっとも宗教的な事件グレゴリウス改革を契機にして世俗化していったことを跡づけたい。The conception of the monarchy in the early medieval ages was the theocratic monarchy or royal theocracy, based on the friendly relationships between kings and churches because of offering the latter's services to the royal administration on the one hand and of the il...