チベットのダルマ王の存在はチペット仏教史上重要な位置を占めているが、その在位年次は従来諸説紛々として帰するところがなかった。その原因は中国、チペット両国の文献のこれに関する記載が不一致なところから来ている。しかし中国文献を仔細に検討すると、実は補国史の誤つた記述が新唐書、資治通鑑に採用され、それがチベット側文献にそのまま導入されたために混乱が起ったのである。ダルマ王の在位年次は八四一―八四六年とするのが正しく、有名な彼の廃仏は八四三年と見なすべきである。又ダルマが本質的に暴君であるとする従来の説も甚だ疑わしいことを注意しておきたい。There have been many opinions about the reigning period of king Dar-ma, such as Petech, Tucci, Aoki, Nakane, Richardson, and so on; each of which is wrong or unsatisfactory, because of many kinds of description in the Chinese and Tibetan literatures which were used for its researching. The essential reason, as the writer thinks, is as follows; the mistaken description in the Pu-kuo-shih 補国史 was adopted in the Hsin-t'ang-shu 新唐書 and Tzu-ch'ih-t'ung-chien 資治通鑑 and introduced int...
平安前期、十世紀中葉にいたって東国の地に反乱が起る。平将門によるものがそれである。この乱がその後の政治過程に与えた影響は決定的とも思われ、「律令国家」の崩壊、武士の発生などの観点から、いままでも分析が...
十世紀から十三世紀に亘る宋時代における商業の発達という現象は、中国史の流れの中でも一際めだつものであり、いろいろな角度から綿密に考証されねばならぬ。それと密接に関連する、この時代の貨幣経済の発展につい...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
御願寺とは、天皇や皇后、上皇等によって建立された寺院や、申請によって天皇御願寺となった寺院を指す。天皇等の誕生から死後までその身体に密着して活動していた。九世紀に出現し、その後徐々に天皇の御願寺が他に...
中国の歴朝において売官の事例は枚挙に遑なく、その歴史上に有する意義も区々であるが、その中後漢書の霊帝紀には、光和元年初めて西邸を開いて官を売り、関内侯より虎賁・羽林にいたるまで銭を入れ各々差あり、西園...
隋唐時代の政治的統一の基礎には、国家権力に対する人民の近接化があるのではないか。勿論そこには官僚制が媒介されているのであるが、国家権力と人民とのこうした関係を「自由民」体制とよぶとすれば、その淵源のひ...
個人情報保護のため削除部分あり諸侯王・列侯の権勢の強い漢初にあっては、自由放任を唱える黄老術がかれらの支持を受け、優勢を誇った。さらに当時においては、いわゆる任俠が社会全般にわたって顕著な活躍を見せ、...
石高制を基礎とし、米殻を主要な商品とする近世封建社会において、量制の問題が重要な位置を占めたことはいうまでもない。すでに宝月圭吾氏が、この問題についてのすぐれた研究を発表されているのであるが、本稿はた...
漢代から三国魏にかけていずれも上奏文の最終的な裁可は、皇帝が担っていた。裁可の形式について、漢代及び三国魏では、「可」などの裁可を示す文字もしくは赤い鉤印によるものであった可能性が高い。漢魏時代とも皇...
After the collapse of the Qing Empire in 1912, the Republican China asserted its authority over the ...
個人情報保護のため削除部分あり/ 正誤表あり(57巻3号p.489)周礼に定められている施舎制度は、特別な人には力役を免除するものであるが、この恩典にあずかるものに賢者がある。この賢者は何かと言えば、...
日本書紀の歴代天皇紀中、その上代の部分には、全く記事を有しない空白の年次が非常に多い。いまこれらの空白年次を除外して計算すると、その結果は治世年数に関し記註崩年干支と極めて緊密な関係があることが発見さ...
十三世紀の初期、漢土は宋・金・蒙古の三朝鼎立で混沌たる社会情勢を醸し出していたが、一二三四年に蒙古は金を亡ぼして、漢土の民衆に君臨するに至った。併し、それが異民族支配であっただけに並々ならぬ抵抗を受け...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
本稿では、前漢武帝の巡幸の構造について祭祀を視角として分析し、そこに表現される皇帝権力を考察した。武帝の巡幸地域は「東」(東方地域) と「西」(関中及び隣接する西北辺郡) とに大別され、祭儀の挙行がそ...
平安前期、十世紀中葉にいたって東国の地に反乱が起る。平将門によるものがそれである。この乱がその後の政治過程に与えた影響は決定的とも思われ、「律令国家」の崩壊、武士の発生などの観点から、いままでも分析が...
十世紀から十三世紀に亘る宋時代における商業の発達という現象は、中国史の流れの中でも一際めだつものであり、いろいろな角度から綿密に考証されねばならぬ。それと密接に関連する、この時代の貨幣経済の発展につい...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
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中国の歴朝において売官の事例は枚挙に遑なく、その歴史上に有する意義も区々であるが、その中後漢書の霊帝紀には、光和元年初めて西邸を開いて官を売り、関内侯より虎賁・羽林にいたるまで銭を入れ各々差あり、西園...
隋唐時代の政治的統一の基礎には、国家権力に対する人民の近接化があるのではないか。勿論そこには官僚制が媒介されているのであるが、国家権力と人民とのこうした関係を「自由民」体制とよぶとすれば、その淵源のひ...
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日本書紀の歴代天皇紀中、その上代の部分には、全く記事を有しない空白の年次が非常に多い。いまこれらの空白年次を除外して計算すると、その結果は治世年数に関し記註崩年干支と極めて緊密な関係があることが発見さ...
十三世紀の初期、漢土は宋・金・蒙古の三朝鼎立で混沌たる社会情勢を醸し出していたが、一二三四年に蒙古は金を亡ぼして、漢土の民衆に君臨するに至った。併し、それが異民族支配であっただけに並々ならぬ抵抗を受け...
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十世紀から十三世紀に亘る宋時代における商業の発達という現象は、中国史の流れの中でも一際めだつものであり、いろいろな角度から綿密に考証されねばならぬ。それと密接に関連する、この時代の貨幣経済の発展につい...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...