さきに加藤繁氏は、前漢時代の財政機構が帝室財政と国家財政との二本建となつていることをあきらかにされた。このような財政機構のありかたは戦国時代にまで溯及しうるものであり、この問題はその後、宮崎市定氏によつて、また最近増淵龍夫氏によつてそれぞれの分野に発展せしめられた。(「中国古代賦税制度」・「先秦時代の山林藪沢と秦の公田」) ところが二本建財政は前漢一代で終りをつげ、後漢以後は、国家財政一本建となつてしまつた。この後漢以後の問題を、勧農政策との関連の上からとりあげてみたものが小論である。そしてわたくしは本論において、財政機構の変容と勧農政策のありかたを通じて、後漢時代を隋唐国家体制の出発点と考えた。Double financial mechanism of Shao-fu (少府) (royalfinancial organization) and Ta-ssu-nung (大司農) (state financial organization) in the Former Han (前漢) period was completely equipped into a single mechanism of Ta-ssu-nung in the Later Han (後漢) period, and at once, in the Former Han period organizations for agricultural policy, such as Tu-shui (都水), nung-chien (農監) and so on, under immediate control of Ta-ssu-nung and Shao-fu were transferred to Ch...
個人情報保護のため削除部分あり韓国の閔成基教授の論文「呂氏春秋農法の新考察」を紹介し、私見を加えた。閔氏は呂氏春秋に見える農法においてすでに一畝三甽の作畝法がおこなわれたが、ただそれは任地篇に見える八...
一般に中国では、戦国時代(紀元前三、四世紀)に鉄製農具が普及し、鉄の刃のついた犁を牛にひかせる、いわゆる牛耕による深耕がおこなわれるなど、耕作技術が進歩し、農業生産力は増大したといわれる。しかしこれを...
個人情報保護のため削除部分あり一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明...
これまでに西晋の占田課田制度に関する研究は数多く発表されているが、そのほとんどが占課田と屯田または均田との関係のみを取扱つており、前代=漢代との関係を顧慮したものは、岡崎文夫氏以外には見当らないといつ...
個人情報保護のため削除部分ありこれまでの唐宋変革期研究において、当時の生産力の急速な発展という認識は暗黙の前提とされていた。しかし、その発展の内容をより深める立場からの研究は未だ少なかったと言わざるを...
個人情報保護のため削除部分あり南宋社倉制度についての従来の一般的イメージは、地主の郷村支配・宋代郷村の自律性といった文脈から形成されてきた。本稿は、公権力についての評価を考察の軸に加えることによって、...
個人情報保護のため削除部分あり一九世紀後半のロシア・ナロードニキの伝統を色濃く受継ぎ、二十世紀初頭に組織されたエスエル党(社会主義者-革命家党) は、ロシアにおける農業=土地問題の解決をその主要な政治...
平安期は、それまでの律令国家の条里制施行に代表される国家的な大規模開発から荘園制下の小規模開発への過渡期にあたっている。当蒋の主要な開発の対象は、条里制の遺産として残されていた田代と、体制的にたえず再...
個人情報保護のため削除部分あり一八九四年は、甲午農民戦争およびそれに促追されつつ行なわれた甲午改革といった一連の出来事により、朝鮮近代史上、一つの画期をなす年であった。本稿は、甲午以後複雑な展開を示す...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
個人情報保護のため削除部分あり一八世紀中国では空前の規模の穀物備蓄が清朝により形成される。制度的には穀物相場の調整を中心機能としながら、移入地域でも穀物の消費・補填を現地で完結させる指向をもつものであ...
個人情報保護のため削除部分あり開港の影響が本格化する以前に、中国の小経営生産様式は如何なる水準に達していたかを分析する作業の一環として、清代華北の農業経営を分析する。華北民農書等に見られる有力経営は、...
個人情報保護のため削除部分あり死者を出した家を物質的に扶助する慣習は、中国では古い起原をもち、詩経、礼記、左伝などの古典に見えている。この醇風美俗は、普通、賻贈といわれ、春秋時代から君主の権力が強くな...
明治維新の主体を改革派同盟から直ちに論じたとき、成立した維新政権の階級配置との相違に直面する。その矛盾は、従来の諸論稿が、討幕派のもつとも重要な時期=慶応期に焦点を合せた具体的分析を行わずに、文久・元...
本稿は「開元・天宝期を中心とする唐代兵制の諸様相」と云う題の下にまとめられた論稿の一部で、略々その第一章の主要部分に相当する。筆者はここで、兵役の母体をなした一般担税戸口、即ち州県籍帳に編せられた「百...
個人情報保護のため削除部分あり韓国の閔成基教授の論文「呂氏春秋農法の新考察」を紹介し、私見を加えた。閔氏は呂氏春秋に見える農法においてすでに一畝三甽の作畝法がおこなわれたが、ただそれは任地篇に見える八...
一般に中国では、戦国時代(紀元前三、四世紀)に鉄製農具が普及し、鉄の刃のついた犁を牛にひかせる、いわゆる牛耕による深耕がおこなわれるなど、耕作技術が進歩し、農業生産力は増大したといわれる。しかしこれを...
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これまでに西晋の占田課田制度に関する研究は数多く発表されているが、そのほとんどが占課田と屯田または均田との関係のみを取扱つており、前代=漢代との関係を顧慮したものは、岡崎文夫氏以外には見当らないといつ...
個人情報保護のため削除部分ありこれまでの唐宋変革期研究において、当時の生産力の急速な発展という認識は暗黙の前提とされていた。しかし、その発展の内容をより深める立場からの研究は未だ少なかったと言わざるを...
個人情報保護のため削除部分あり南宋社倉制度についての従来の一般的イメージは、地主の郷村支配・宋代郷村の自律性といった文脈から形成されてきた。本稿は、公権力についての評価を考察の軸に加えることによって、...
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平安期は、それまでの律令国家の条里制施行に代表される国家的な大規模開発から荘園制下の小規模開発への過渡期にあたっている。当蒋の主要な開発の対象は、条里制の遺産として残されていた田代と、体制的にたえず再...
個人情報保護のため削除部分あり一八九四年は、甲午農民戦争およびそれに促追されつつ行なわれた甲午改革といった一連の出来事により、朝鮮近代史上、一つの画期をなす年であった。本稿は、甲午以後複雑な展開を示す...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
個人情報保護のため削除部分あり一八世紀中国では空前の規模の穀物備蓄が清朝により形成される。制度的には穀物相場の調整を中心機能としながら、移入地域でも穀物の消費・補填を現地で完結させる指向をもつものであ...
個人情報保護のため削除部分あり開港の影響が本格化する以前に、中国の小経営生産様式は如何なる水準に達していたかを分析する作業の一環として、清代華北の農業経営を分析する。華北民農書等に見られる有力経営は、...
個人情報保護のため削除部分あり死者を出した家を物質的に扶助する慣習は、中国では古い起原をもち、詩経、礼記、左伝などの古典に見えている。この醇風美俗は、普通、賻贈といわれ、春秋時代から君主の権力が強くな...
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一般に中国では、戦国時代(紀元前三、四世紀)に鉄製農具が普及し、鉄の刃のついた犁を牛にひかせる、いわゆる牛耕による深耕がおこなわれるなど、耕作技術が進歩し、農業生産力は増大したといわれる。しかしこれを...
個人情報保護のため削除部分あり一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明...