教行信証についての最近の研究は、信巻別撰説をめぐる構成の面と、元仁元年を中心とする著述年次の面に、関心を集中しているが、双方とも論は坂東本に関係しており、その実態についての研究が要望されている。この論文は、著者がこの二年間、坂東本について直接調査した結果を纒めたものであり、書誌学的研究に属するが、それから導き出される結論は、教行信証の構成や著述年次についての論議に関係するので、思想史特集のうちに含めて発表することにした。論文の重点を要約して云えば、坂東本のうちには、当初に書写されたままの個所と、後に書直された部分があり、いままでの研究ではこれを区別せずに同じに取扱ってきたが、原本についてその区別を明らかにし、それによって教行信証の研究に新しい面を開こうとするものである。Resent studies of Kyogyoshinsho by Shinran (親鸞) have been centered on how the volume of Shinkan (信卷) was inserted later and, chronologically, how the prodedure of description was taken, though certainly it occurred around the first year of Gannin(元仁). Discussions in both ways are based on Bandobon, i. e. the original copy. This article results from the author's two-year-long direct investigation of that copy...