宋代の地方制度は中央の官制と同様に複雑を極めたものであつた。それは唐代の地方民政機関としての州が、藩鎮の跋扈の影響を受けて軍事化し、州院と使院との二重体制が生じたためである。宋代に入つても形式上はこれが継続していた。この変遷を背景として始めて唐末から北宋への地方政治の諸相を理解することができる。宋代の農民地主を苦しめた役である衙前は、州衙門の軍事面を司る節度使としての役所たる使院の機構の中から発生したもので、宋の統一による中央集権の強化の結果、徒らに経済的負担が重くて地位の低い職役となり下つた。この職役なるものは、原来地方税の意味を含むものであつて、それが中世的な形で課せられていたのである。王安石の役法改正は、この役の形の地方税を金銭化し更に地方財政制度の確立を目ざしたもので甚だ進歩した政策であつた。この改正以後、宋代では役の問題は農村において服役する郷役に限られることになつた。The local administration under the Sung dynasty furnishes a complicated structure as well as that of the central government. This is due to the changes througe which the chou (州), administrative unit of the T'ang dynasty, passed during the rebellion of the fan-chen (藩鎮). As a result we see a double system composed of chou-yüan (州院) and shih-yüan (使院) de...