アルバート・J・ノック(1870?-1944)は、20世紀初めのリバタリアンの思想と主張の際立った代表者であった。ルードビッヒ・フォン・ミーゼス、マレー・N・ロートバード、アイン・ランドなどの後続の思想に影響を与えたリバタリアンの運動は、今日においてさえ、先駆的な自由の唱道者と評論家としてノックに懐古的な賛辞を送っている。本論文は、ノックがまさに輝かしい作家・ジャーナリストなのか、それ以上の者なのか、またどの程度までそう考えられるかを探求するものである。ノックはどの程度まで社会科学者と考えられるか?この問いは恐らく、少なくともノック自身を困らせることはかったかも知れないが、しかし、現代リバタリアン理論の光りに照らしてこれを浮かび上がらせることは重要である。リバタリアニズムは、自由で公正な社会がいかなる形の強制と両立できないものであることを主張する政治哲学である。ほとんどすべての政治思想家は私的な強制(例えば殺人、窃盗)は犯罪であると見なすけれども、リバタリアンは、公の(とくに国家の)機関への強制力の行使にもまた禁止すべきものと拡張しようとした。現代のリバタリアニズムには、過激主義とプラグマティズム、左翼と右翼、アナーキズムとミナーキズムなどという、ある程度の混乱があり、ある論者たちはその混乱を純粋な形では力の浪費と考えた。ノックは、現代の理論家たちが主張しなければならないことよりも優れた、主張しなければならない何かを今なおもっているか?もしもヒューマニズムが、アービング・バビットによって広い意味で定義されたものと考えられるとすれば、確かに、ノックが今なおリバタリアンのうち最もヒューマニスティックであるということは、安全な主張である。しかしながら、このヒューマニズムゆえにこそ、...