『源氏物語』における本文研究の分野は、六○年以上も停滞している。今すべきことは、『源氏物語大成』で「簡略ヲ旨」とされた本文群を翻刻し直し、各本文を校合した結果をもとにして特徴のある異同を検討し、異本異...
本稿では、流布本『曾我物語』巻六「大磯の盃論の事」から始まる和田酒盛の物語を、絵入古活字本『曾我物語』の挿絵を端緒にして、舞の本『和田酒盛』や古浄瑠璃正本『わだざかもり』の各挿絵に注目して考察を試みた...
平安鎌倉期の漢詩作品を取り巻く状況を考察する一環として、詩懐紙について、その作法、特に詩本文の書様を概観する。鎌倉前中期に次第に六行三字に統一されていくこと、南北朝期を境に七言律詩から七言絶句に変わり...
入江昌喜書き入れ本『海人の刈藻』を中心に、近世期における中世王朝物語享受の一端について検討する。昌喜は享保七〈一七二二〉年に生まれ、寛政一二〈一八○○〉年に没した大阪の町人学者である。『海人の刈藻』の...
まだ公刊されていない本居宣長の書簡中から、七月三日付門人荒木田尚賢宛の一通と、日付・宛名を欠くが、門人小篠敏宛と推定される一通の計二通を選び、本文を翻刻すると共に、その年次を考証し、あわせてその宣長研...
仏書における了意の追随者たちは、了意が収載を忌避した日本の説話・巷間説話を積極的にとり込んでいく。人生の最晩年を向かえた了意は、この新しい流行を無視することなく、それをも克服しようとした。その活動が仮...
この小論は、『古事記』の所伝の成り立ちに考察を加えたものである。仲哀天皇の崩御をめぐる所伝が類型に則って成りたつことをまず指摘する。その所伝に通じる『日本書記』の所伝は、その類型に合わず、仲哀天皇の崩...
近世中期から後期には、『源氏物語』を中心とした平安朝文学にあらわれる、装束・調度・建築等を図で示し、注解を施した書が多く著された。本稿では、その中でも特に装束関連の図説書に注目し、江戸後期に成立した『...
『源氏物語玉の小櫛』註釈の項冒頭の「ちうさくは、河海抄ぞ第一の物なる」という一節は著名だが、なぜ宣長が『河海抄』を第一と評価したかについては、その理由が判然としていない。本稿においては、その理由を考察...
『古語拾遺』は、大同二年、平城天皇の召問に答えて、斎部広成が、中臣氏の専横を嘆じ、自らの氏族の正統とその職掌の由来を述べたものである。 全体はその内容と表現から、八つの章段に区切って考えることができ...
「名取熊野縁起」が形成された過程を、本縁起を構成するモチーフを吟味することにより、「道とをし」の熊野神詠譚が、梛の葉や虫喰いの神詠等の諸要素を取り込みながら、陸奥在地の名取老女の熊野勧請説話と結びつい...
金春権守作と言われる「昭君」は、古態を残す能とされながらも、後世の類型化のために、前後の脈絡がつかない筋書となっており、また、王昭君の説話を本説としながらも主題が不鮮明な鬼能に作能されている。本稿では...
大僧正明尊(九七一―一○六三)は、生涯を通じて関白藤原頼通に親近し、摂関家の宗教的側面を支え続けた高僧である。本稿ではその明尊の伝記と、周辺の文学・史実について若干の考察を行う。特に長暦二年(一○三八...
『日本書紀訓考』は明治十二年の刊記を持つ日本書紀神代巻についての注釈書(未完)であり、越後柏崎の関四郎太なる人物が著したものである。内容は本居宣長『古事記傳』に範を取り、全面的に依拠して、此に匹敵す...
今日なお新聞で多数の読者が連載小説を読んでいるのは国際的にユニークな、日本人だけの習慣である。その発生に最も関係の深い東京絵入新聞の続きものを考察した。絵入雑報記事の発生、「岩田八十八のはなし」につい...
『源氏物語』における本文研究の分野は、六○年以上も停滞している。今すべきことは、『源氏物語大成』で「簡略ヲ旨」とされた本文群を翻刻し直し、各本文を校合した結果をもとにして特徴のある異同を検討し、異本異...
本稿では、流布本『曾我物語』巻六「大磯の盃論の事」から始まる和田酒盛の物語を、絵入古活字本『曾我物語』の挿絵を端緒にして、舞の本『和田酒盛』や古浄瑠璃正本『わだざかもり』の各挿絵に注目して考察を試みた...
平安鎌倉期の漢詩作品を取り巻く状況を考察する一環として、詩懐紙について、その作法、特に詩本文の書様を概観する。鎌倉前中期に次第に六行三字に統一されていくこと、南北朝期を境に七言律詩から七言絶句に変わり...
入江昌喜書き入れ本『海人の刈藻』を中心に、近世期における中世王朝物語享受の一端について検討する。昌喜は享保七〈一七二二〉年に生まれ、寛政一二〈一八○○〉年に没した大阪の町人学者である。『海人の刈藻』の...
まだ公刊されていない本居宣長の書簡中から、七月三日付門人荒木田尚賢宛の一通と、日付・宛名を欠くが、門人小篠敏宛と推定される一通の計二通を選び、本文を翻刻すると共に、その年次を考証し、あわせてその宣長研...
仏書における了意の追随者たちは、了意が収載を忌避した日本の説話・巷間説話を積極的にとり込んでいく。人生の最晩年を向かえた了意は、この新しい流行を無視することなく、それをも克服しようとした。その活動が仮...
この小論は、『古事記』の所伝の成り立ちに考察を加えたものである。仲哀天皇の崩御をめぐる所伝が類型に則って成りたつことをまず指摘する。その所伝に通じる『日本書記』の所伝は、その類型に合わず、仲哀天皇の崩...
近世中期から後期には、『源氏物語』を中心とした平安朝文学にあらわれる、装束・調度・建築等を図で示し、注解を施した書が多く著された。本稿では、その中でも特に装束関連の図説書に注目し、江戸後期に成立した『...
『源氏物語玉の小櫛』註釈の項冒頭の「ちうさくは、河海抄ぞ第一の物なる」という一節は著名だが、なぜ宣長が『河海抄』を第一と評価したかについては、その理由が判然としていない。本稿においては、その理由を考察...
『古語拾遺』は、大同二年、平城天皇の召問に答えて、斎部広成が、中臣氏の専横を嘆じ、自らの氏族の正統とその職掌の由来を述べたものである。 全体はその内容と表現から、八つの章段に区切って考えることができ...
「名取熊野縁起」が形成された過程を、本縁起を構成するモチーフを吟味することにより、「道とをし」の熊野神詠譚が、梛の葉や虫喰いの神詠等の諸要素を取り込みながら、陸奥在地の名取老女の熊野勧請説話と結びつい...
金春権守作と言われる「昭君」は、古態を残す能とされながらも、後世の類型化のために、前後の脈絡がつかない筋書となっており、また、王昭君の説話を本説としながらも主題が不鮮明な鬼能に作能されている。本稿では...
大僧正明尊(九七一―一○六三)は、生涯を通じて関白藤原頼通に親近し、摂関家の宗教的側面を支え続けた高僧である。本稿ではその明尊の伝記と、周辺の文学・史実について若干の考察を行う。特に長暦二年(一○三八...
『日本書紀訓考』は明治十二年の刊記を持つ日本書紀神代巻についての注釈書(未完)であり、越後柏崎の関四郎太なる人物が著したものである。内容は本居宣長『古事記傳』に範を取り、全面的に依拠して、此に匹敵す...
今日なお新聞で多数の読者が連載小説を読んでいるのは国際的にユニークな、日本人だけの習慣である。その発生に最も関係の深い東京絵入新聞の続きものを考察した。絵入雑報記事の発生、「岩田八十八のはなし」につい...
『源氏物語』における本文研究の分野は、六○年以上も停滞している。今すべきことは、『源氏物語大成』で「簡略ヲ旨」とされた本文群を翻刻し直し、各本文を校合した結果をもとにして特徴のある異同を検討し、異本異...
本稿では、流布本『曾我物語』巻六「大磯の盃論の事」から始まる和田酒盛の物語を、絵入古活字本『曾我物語』の挿絵を端緒にして、舞の本『和田酒盛』や古浄瑠璃正本『わだざかもり』の各挿絵に注目して考察を試みた...
平安鎌倉期の漢詩作品を取り巻く状況を考察する一環として、詩懐紙について、その作法、特に詩本文の書様を概観する。鎌倉前中期に次第に六行三字に統一されていくこと、南北朝期を境に七言律詩から七言絶句に変わり...