本稿は草食男子と無性愛の共通する特徴を説明するものである。無性愛は少しずつ性的指向として西洋の言説の中で受け入れられ始めている。他方、草食男子は日本のメディアにおいて注目を集めている。筆者は草食性に関する先行研究を見直し、無性愛の特徴と比較することで、草食男子と無性愛に共通の基盤を見出すことが出来ると考えている。それを明らかにすることで、無性愛と同様に草食性が異性愛中心言説に対して抵抗的なアイデンティティ・ポリティックスとなる可能性を秘めていることを提示出来るのだ。現在の強制的異性愛中心主義の社会は、ジュディス・バトラー(1999)が定義した「異性愛的マトリックス」によって保たれている。このマトリックスはジェンダー・セックス・欲求の相関関係によって成立するが、草食男子や無性愛者はこの相関関係から「欲求」を欠落させている。このことから、彼らは既存の支配的マトリックスを破壊し、男らしさの言説を再定義する可能性を持つと考えられる。すでに、先行研究では、無性愛が自然な行動異で、性愛中心主義に対して抵抗出来る可能性を持つと論じられている。しかし、無性愛と草食性の共通性は未だ考察されていない。その結果、草食性は異性愛中心主義に抵抗する可能性を持った性的志向としてではなく、日本社会への社会経済的反応として研究されてきた。草食男子のインタビューによると、彼らは根本的にセックス、または恋愛に興味がないことが明らかとなっている。これは無性愛者の定義そのものである。無性愛者コミュニティの「傘」の下に彼らの居場所を見出すことで、草食男子は自らのセクシュアリティや行動をより理解出来るようになると考える