本稿は、ジャン・ボードリヤールの思想を時系列的に読み解くシリーズの第三回。今回の範囲は1980年代から2000年代にかけて、対象となるテキストは『宿命の戦略』(1983年)、『透きとおった悪』(1990年)、『不可能な交換』(1999年)、『悪の知性』(2004年)である。『宿命の戦略』は、1980年代の西欧世界を展望して、商品が記号として溢れた果ての消費文化の行く末を予見する。それは、シミュレーション革命が進行して、物がハイパーリアルの記号になり、世界が記号の意味作用で透明になる段階である。その結果、世界は成長から過成長へ、危機からカタストロフへ傾斜していく。この論点は『透きとおった悪』でも反復され、1990年代の時代の実相として理論家される。つまり西欧の消費文化は、商品の記号化の段階から、希望の膨張を特徴とする「フラクタル」の段階へ達する。そこでは、ハイパーリアルの自己増殖が進んで、「他者」と「悪」という新しい問題が立ちあらわれる。「不可能な交換」は「自己と他者」、「善と悪」という二項対立の弁証法によって進歩を説明できなくなった1990年代末の西欧世界を活写する。自己を善として純化するハイパーリアルの世界では、否定された非自己がウイルス化した他者=悪になり、自己へ報復するという現象が起きる。その結果、自己と他者、善と悪の交換は不可能になり、世界は交換から生まれるあらゆる価値を喪失する。『悪の知性』は、世界が「デジタル性の全宇宙」と化した段階を「インテグラル」と規定し、デジタルワールドの自己肯定性にヴァーチャルの幸福を見る人間が、自己破壊の欲望を募らせる存在になるという逆説を論証する。「インテグラル」の世界を究極の善とすれば、それに排除された「ありのままの世界」の思考こそ、...