近代西洋由来の文明史観は、東アジアの「歴史学」の形成に大きな影響を与えた。文明史観(東西文明論)をその価値観とともに中国に紹介し、根付かせたのは、戊戌政変によって日本に亡命した梁啓超、あるいは中国共産党の創設者の一人となる李大釗らであり、それを可能にしたのは、梁にあっては福沢諭吉や浮田和民の著作、李にあっては茅原華山の著作という日本語の出版物を参照できたことだった。「四大文明」という呼称も、二〇世紀初頭には日本、中国ですでに登場していたものであって、一部の歴史家がいうような戦後の発明品ではない。その後、中国でいわゆる「東西文明論争」が一九一〇年代半ば以降に華々しく行われると、文明史観から派生した地理環境決定論が東西文明の違いを説明するものとして、いったんは主流の言説となった。ただし、歴史の発展を単線的、一元的なものとみなす唯物史観が中国左翼論壇を席巻していくと、文明史観、特に地理環境決定論に依拠する歴史解釈は、次第にその影響力を失ってしまうことになる。The concept of civilization derived from the West exerted tremendous influence upon the formation and development of the modern historiography in East Asia, and caused the boom of the "historical perspective on civilization" 文明史観 at the end of 19th century and early in the 20th century. In China, Liang Qichao 梁啓超 who...
本稿は、中国文学コミュニケーション学の歴史を踏まえ、現状と問題点を分析し、文学コミュニケーション学の視座の下に中国文学研究の未来を展望する試みである。中国におけるコミュニケーション学の研究は、1980...
中國推動改革開放三十年來,其綜合政經軍實力大幅快速成長,中國亦極力透過公眾外交向世界展現中國的和平崛起及負責任的大國形象。然而中國在世人眼中究竟為何?是個值得研究的課題。 本研究擬選擇「紐約時報」及「...
發行於1905年至1911年的《漢文臺灣日日新報》,在該報的小說欄上,曾經刊登了若干以西洋國家人、事、物為創作背景的通俗小說,由於「小說」在本質上具有地理學的特質,所以這些小說可以被解讀為展示臺人西洋...
清末知識人は、中国文明を唯一の文明と見る文明観から転換し西洋文明の優位を認める過程で、どのように新たな自己認識を形成したのだろうか。従来この問題は、主に日清戦争後の国民性認識として論じられてきた。しか...
比利時鐘鳴旦教授(Nicolas Standaert)2002年發表的“Methodology in View of Contact between Cultures: The China Case ...
本稿は、江戸時代において近江八景という一つの知識が、刊本や写本という書物を介して社会に伝播し、さまざまな地域・階層の人々に教養として受容されていく過程を、近江八景を詠んだ漢詩と和歌を素材に検討したもの...
本稿では、国風文化期における中国文化の受容の在り方を再検討する。従来の日本史研究ではほとんど扱われることのなかった『浜松中納言物語』『松浦宮物語』に見られる異国描写を手掛かりとして、平安時代の人々が何...
本文主要由過去學界中一批中國掐絲琺瑯的定年爭議切入。首先回顧元代說:楊伯達、Béatrice Quette等人;以及明中期說:Harry Garner、Helmut Brinker和Al...
本文探討作為「區域史」(regional history)的東亞文化交流史研究之方法論與問題意識,並建議若干研究主題。本文共分五節,第一節主張介於二十世紀以降的「國別史」(national histo...
五世紀の日本や朝鮮の国際関係を、同様に中国南朝の冊封をうけていた他の諸外国の事例と関連させて検討するとき、そこに、従来よりは、豊富な史料と広い視野を獲得しうることとなろう。本稿は、かかる問題関心のもと...
前六世紀中葉以降、アカイメネス朝の支配下に入ると、小アジアは多様な文化的背景を有する人々が混在する地域となった。本稿では、かかる小アジアの南西端に位置したカリアを取り上げ、そこでいかなる文化が実践され...
一八八六年の「ビルマ・チベット協定」では、ビルマ人の北京への貢使派遣の継続と、英国のビルマ統治とが英国・清朝それぞれによって承認された。一九世紀中国を取り巻く国際環境の変容を、近代条約体制による伝統朝...
特集 : 東アジアの民俗学 --歴史と課題--Special Issue : Histories and agendas of East Asian Folklore Studiesこれまでの日本の民...
個人情報保護のため削除部分ありこれまでの山東竜山文化の研究においては、時間及び空間的変化はまだ正確にはあきらかにされていない。特に、一つの遺跡での前後関係を山東竜山文化全体の編年とした欠点が著しい。本...
本論は朱子『四書章句集注』の解説書、いわゆる四書疏釈書が南宋で登場したその要因を考察した。宋代の経書注釈書の特徴は「議論」形式であるのに対し、『四書集注』は簡略を宗とする「訓詁」を重んじた。そのため該...
本稿は、中国文学コミュニケーション学の歴史を踏まえ、現状と問題点を分析し、文学コミュニケーション学の視座の下に中国文学研究の未来を展望する試みである。中国におけるコミュニケーション学の研究は、1980...
中國推動改革開放三十年來,其綜合政經軍實力大幅快速成長,中國亦極力透過公眾外交向世界展現中國的和平崛起及負責任的大國形象。然而中國在世人眼中究竟為何?是個值得研究的課題。 本研究擬選擇「紐約時報」及「...
發行於1905年至1911年的《漢文臺灣日日新報》,在該報的小說欄上,曾經刊登了若干以西洋國家人、事、物為創作背景的通俗小說,由於「小說」在本質上具有地理學的特質,所以這些小說可以被解讀為展示臺人西洋...
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發行於1905年至1911年的《漢文臺灣日日新報》,在該報的小說欄上,曾經刊登了若干以西洋國家人、事、物為創作背景的通俗小說,由於「小說」在本質上具有地理學的特質,所以這些小說可以被解讀為展示臺人西洋...