中世土師器は当時の人びとのもっとも身近な道具の一つであったが、その生産の実態は、生産遺跡の発見例が少ないためにほとんど論じられてこなかった。本稿では、戦国時代末期の土佐一国の検地記録である『長宗我部地検帳』を題材に、土師器工人所有の屋敷地や田畑、また土師器生産に関わる地名などの記録を集成し、土佐における土師器生産の様態の解明を試みた。その結果、土師器工人は各郡に数軒程度は存在し、屋敷地のほか一定の田畑も所有していたことがわかった。また地名と居住地の傾向から、往古は寺社のもとで製品貢納と引き換えに田畑を与えられたあり方から、大名・国人層に応じて城下や市場集落へ拠点を移し、販売にも携わるあり方へと変化しつつも、なお半農半工として農業に依存していた姿が明らかになった。このモデルは、考古資料にみえる地域性との対比が必要であるが、一つの具体像を提示できた点で中世土器生産論において重要な価値がある。Medievai Haji ware (土師器) is one of the most common artifacts excavated from medieval sites in Japan. It is known that medieval people used this variety of earthenware in various contexts of their lives; in other words, Haji ware was one of the most familiar implements employed by medieval people. A major focus in the study of Haji ware has been how ...
application/pdf本稿では、筆者がかつて提起した「二十二社・一宮(いちのみや)制(王城鎮守(おうじょうちんじゅ)・国鎮守(くにちんじゅ)制)」に対する批判として提起された諸氏への反批判とい...
2013 年、東京大学考古学研究室とサハリン国立大学考古学・民族学研究所は、サハリン島スラブナヤ5 遺跡第3 発掘区において発掘調査を実施した。基本層序は、Ⅰ層:表土、Ⅱ層:新石器時代前期文化層、Ⅲ層...
從鐮倉時代起,因著武家政權的成立,武士在日本中世社會內扮演著主導性的地位。而新興的武士階層為了留給其子孫教訓,或是規範家臣團,而開始撰寫家訓。進入戰國時代後社會激劇變化,因此為了使其家族適應生存於戰亂...
木製農具は初期農耕社会の経済基盤を支えた道具であり、農耕の拡散や発展を論じるうえで不可欠な要素として重視されてきた。さらに農具には製作途中の未成品も多く伴うため、生産体制論においても存在感を示している...
河内国狭山池を享保六年(一七二一) から預所とした狭山藩北条氏を取り上げ、治水の局面において、享保期の所領錯綜地域・上方における幕藩領主の支配形態を、大名預所と幕府広域支配との関係から検討した。一八世...
In my “Study of Haji Ware Shaped Tsuki and Dishes in the Aki Area (1),” I examined the excavated con...
本稿では古墳時代の轡や杏葉、雲珠や辻金具などを連結し、馬装として機能させるうえで重要な繫とよばれる有機質製ストラップについて基礎的整理をおこなった。これまで繫についての認識が不十分だったため、馬具研究...
当該論文は、発表論文に加筆修正したもの。九州大学は福岡市西区へのキャンパス移転を継続中である。移転に先立ち、福岡市教育委員会が発掘調査を行った。その結果、多数の墨書木簡が出土した。うち1点には大宝元年...
本稿では水辺の近習資源とその用益権=「コモンズ」形成の歴史的過程を解明することを目的とし、近江国野洲郡兵主郷安治村と蒲生郡津田荘を事例に、中世前期以降のエリの共同用益とその展開について検討した。「コモ...
奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所、橿原市教育委員会、桜井市教育委員会、明日香村教育委員会は、宮を含め藤原京で発掘調査をおこなっている。発掘調査によって、宮や京のより確かな姿が明らかになってき...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
本稿は、元禄三(一六九〇) 年成立の京都大名火消の分析を通して、畿内近国地域の大名が当該地域の支配に果たした役割を明らかにするものである。本制度の実際の活動は京都所司代らの指揮下に入るものの、任命等の...
近十多年來,學界對於清宮傳世紫砂壺的討論,日趨漸增。本論文從研究史的角度,嘗試以清宮傳世盛清時期的紫砂壺,說明康熙、雍正、乾隆三帝,如何藉由紫砂壺,展演各自的品味。為了凸顯清宮的特殊性,本論文先就晚明...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、六・七世紀の百済の中心地であった朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制の変遷を検討し、そこから当該地域の歴史的変遷を考察することを目的とする。まず、古墳に副葬された土器...
本稿は、木簡学会静岡特別研究集会公開シンポジウム(二〇一八年六月)での講演、ならびに国立歴史民俗博物館「日本列島社会の歴史とジェンダー」(二〇一八年一〇月研究会)、岡山大学文学部「ジェンダーの多層性に...
application/pdf本稿では、筆者がかつて提起した「二十二社・一宮(いちのみや)制(王城鎮守(おうじょうちんじゅ)・国鎮守(くにちんじゅ)制)」に対する批判として提起された諸氏への反批判とい...
2013 年、東京大学考古学研究室とサハリン国立大学考古学・民族学研究所は、サハリン島スラブナヤ5 遺跡第3 発掘区において発掘調査を実施した。基本層序は、Ⅰ層:表土、Ⅱ層:新石器時代前期文化層、Ⅲ層...
從鐮倉時代起,因著武家政權的成立,武士在日本中世社會內扮演著主導性的地位。而新興的武士階層為了留給其子孫教訓,或是規範家臣團,而開始撰寫家訓。進入戰國時代後社會激劇變化,因此為了使其家族適應生存於戰亂...
木製農具は初期農耕社会の経済基盤を支えた道具であり、農耕の拡散や発展を論じるうえで不可欠な要素として重視されてきた。さらに農具には製作途中の未成品も多く伴うため、生産体制論においても存在感を示している...
河内国狭山池を享保六年(一七二一) から預所とした狭山藩北条氏を取り上げ、治水の局面において、享保期の所領錯綜地域・上方における幕藩領主の支配形態を、大名預所と幕府広域支配との関係から検討した。一八世...
In my “Study of Haji Ware Shaped Tsuki and Dishes in the Aki Area (1),” I examined the excavated con...
本稿では古墳時代の轡や杏葉、雲珠や辻金具などを連結し、馬装として機能させるうえで重要な繫とよばれる有機質製ストラップについて基礎的整理をおこなった。これまで繫についての認識が不十分だったため、馬具研究...
当該論文は、発表論文に加筆修正したもの。九州大学は福岡市西区へのキャンパス移転を継続中である。移転に先立ち、福岡市教育委員会が発掘調査を行った。その結果、多数の墨書木簡が出土した。うち1点には大宝元年...
本稿では水辺の近習資源とその用益権=「コモンズ」形成の歴史的過程を解明することを目的とし、近江国野洲郡兵主郷安治村と蒲生郡津田荘を事例に、中世前期以降のエリの共同用益とその展開について検討した。「コモ...
奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所、橿原市教育委員会、桜井市教育委員会、明日香村教育委員会は、宮を含め藤原京で発掘調査をおこなっている。発掘調査によって、宮や京のより確かな姿が明らかになってき...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
本稿は、元禄三(一六九〇) 年成立の京都大名火消の分析を通して、畿内近国地域の大名が当該地域の支配に果たした役割を明らかにするものである。本制度の実際の活動は京都所司代らの指揮下に入るものの、任命等の...
近十多年來,學界對於清宮傳世紫砂壺的討論,日趨漸增。本論文從研究史的角度,嘗試以清宮傳世盛清時期的紫砂壺,說明康熙、雍正、乾隆三帝,如何藉由紫砂壺,展演各自的品味。為了凸顯清宮的特殊性,本論文先就晚明...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、六・七世紀の百済の中心地であった朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制の変遷を検討し、そこから当該地域の歴史的変遷を考察することを目的とする。まず、古墳に副葬された土器...
本稿は、木簡学会静岡特別研究集会公開シンポジウム(二〇一八年六月)での講演、ならびに国立歴史民俗博物館「日本列島社会の歴史とジェンダー」(二〇一八年一〇月研究会)、岡山大学文学部「ジェンダーの多層性に...
application/pdf本稿では、筆者がかつて提起した「二十二社・一宮(いちのみや)制(王城鎮守(おうじょうちんじゅ)・国鎮守(くにちんじゅ)制)」に対する批判として提起された諸氏への反批判とい...
2013 年、東京大学考古学研究室とサハリン国立大学考古学・民族学研究所は、サハリン島スラブナヤ5 遺跡第3 発掘区において発掘調査を実施した。基本層序は、Ⅰ層:表土、Ⅱ層:新石器時代前期文化層、Ⅲ層...
從鐮倉時代起,因著武家政權的成立,武士在日本中世社會內扮演著主導性的地位。而新興的武士階層為了留給其子孫教訓,或是規範家臣團,而開始撰寫家訓。進入戰國時代後社會激劇變化,因此為了使其家族適應生存於戰亂...