本稿の目的は、大戦間期イギリス帝国における自然災害の要因と対策をめぐる議論の分析から、植民地科学者/官僚の間でグローバルな環境危機論が形成されるプロセスを検証するとともに、その特質を明らかにすることである。主として「サハラ砂漠の拡大」をめぐる論争と、アメリカ中西部の広域砂塵被害「ダスト・ボウル」に関する議論を取り上げ、植民地科学者/宮僚の間で共有されていた環境認識を考察した。その結果、かれらの間では、一九三〇年代までに人間と自然との関係が問い直されるようになっていたことが示された。土壌浸食などの自然災害は人間の誤った活動によって引き起こされるという見方が普遍化され、被害は世界中に拡大して、世界の人口や文明を維持するための資源・食糧の供給が限界に達するという認識が広がったことが、グローバルな環境危機論の形成につながったと考えられるのである。This study examines the way in which the discourse of global environmental crisis emerged and spread in the British Empire between the Wars, and also identifies the nature of this discourse. In the field of environmental history, the processes by which and how far environments have changed on a global basis has been a main concern. Most historians agree that the empire had ...