個人情報保護のため削除部分あり一一二七年三月二日に暗殺されたフランドル伯シャルル・ル・ボンは、ただちに殉教者とみなされるようになる。この殉教は従来の研究史において単なるエピソードとしかみなされてこなかったが、しかし中世初期以来強い政治的機能を帯びながらキリスト教辺境地帯に存在してきた殉教する君主、聖人としての君主の伝統、およびシャルルが「正義」のために死んだとみなされていることを考えるならば、このシャルルの殉教も政治的意味合いのなかで考察されねばならない。本稿は、シャルルを殉教者とみなしているテクストの形式的・機能的分析からシャルルの殉教を従来の伝統のなかに位置づけ、ついでこの殉教を政治的・思想的コンテクストに照らして検討することによってシャルルの殉教のもつ政治性を明らかにするよう試みる。その過程で、この殉教が従来の伝統のなかでもつ特性だけでなく、一二世紀前半における君主と支配理念をめぐる転換までもが明らかになるであろう。The martyrdom of Charles the Good, Count of Flanders, who was assassinated on 2 March 1127, has only been an incidental theme in the history of medieval Flanders. However, there were cases of martyred sovereigns, particularly in northern and eastern medieval Europe, that contributed to the development of early states by fostering s...