個人情報保護のため削除部分あり十月革命後ソヴェト政府は食糧政策に関して、既に臨時政府下で実施されていた穀物専売と全国公定価格制を受継いだ。 しかしながら時には生産原価にも食込む低い公定価格で農民は穀物の供出を望まず、穀物は自由市揚に流れ、国家による穀物調達は著しく妨げられた。革命後も不断に続く穀物価格の高騰の下で、地方権力は独自の穀物価格を定め、また未曾有の食糧危機に喘 ぐ農民と労働者は、かつぎ屋となってわずかの食糧を求めて農村をさまよっていた。中央政府の食糧政策への反対は、自然発生的な民衆運動として現出し、食糧危機は政治的危機の様相を帯びるようになった。本稿は、こうした十月革命後の食糧危機の下で労農=ボリシェヴィキ権力が主に穀物問題に関して、民衆、特に農民に対してどのように対応したかを叙述するものであり、初期ソヴェト期における労農同盟の一つの限界を示そうとするものである。After the October revolution the Soviet Government inherited from the Provisional Government grain monopolies and fixed prices in its food policy. However, because of fixed prices, which sometimes encroached upon thir production costs, the peasants wanted provide grain not for the state organs but for the free markets and the collection of grain by those s...