個人情報保護のため削除部分あり辛亥革命運動史において、孫文・興中会派と共に、華興会派と光復会派の革命家達の果した役割は決して少なくない。本稿では組織史的視角から両会派の成立過程を統一的に分析し、両会派の組織体質の相違の解明を試みる。一九〇三年、緊迫の度を加えてきた日露間の極東軍事情勢の下で、侵略の国・ロシアといかに対決するのかとの危機感から端を発した拒俄義勇隊の運動は、軍国民教育会への改名、その組織改革・秘密結社化の中から、「洋人の朝廷」と化した清朝の打倒を目標に、華興会を中心とする革命蜂起体制を生みだす。それは、日露戦争に対する中国の革命家の先鋭な意志表示でもあった。そして、侵略の国・ロシアと対決する一方、革命の国・ロシアを発見し、ロシアのナロドニキの戦術思想の受容が行なわれる。それが、軍国民教育会の暗殺団である。しかし、華興会はナロドニキ的傾向を排する。遂に、暗殺団を母体にして光復会が発足する。In the history of the Chinese revolutionary movements, 1900-1913, the role played by the revolutionaries of the Society for China's Revival and the Restoration Society was as important as that of Sun Yat-sen 孫文 and Hsing-chung-fui 興中会. In this article, we will analyze comprehensively the making of these societies from the viewpoint of the inst...