本稿では槇原敬之の17枚のオリジナルアルバムの歌詞を分析し、まず語彙の構造を明らかにした。今回の調査では延べ語数においても異なり語数においても動詞が名詞を上回っていること、また英語の歌詞がかなり含まれていることがわかった。また、頻度30以上の119語を用いた主成分分析では例外的なアルバム(『不安』)はあるものの、概ね1999年までのアルバムと2000年以降とではっきりと分かれること、また階層的クラスター分析では最初期の2枚のアルバムが1つのクラスターを成していることが明らかとなった。これらのクラスターは評論家の意見、また槇原自身の言葉とも一致していることがわかった。この論文は「琉球大学欧米文化論集」(57号2013年p23-42)に掲載された論文を査読し、「九州地区国立大学教育系・文系研究論文集」Vol.1, No.1(2013/10)に採択されたものである
大坂懐徳堂の第五代学主となった中井履軒(一七三二〜一八一七)の経学研究は,壮年時以来の『七経雕題』『七経雕題略』を経て,晩年『七経逢原』全三十三巻として集大成されるが,その膨大な注釈の中にあって特に『...
幕末から明治時代初期にかけて、”おもちゃ絵”と呼ばれる子ども向けの一枚の摺り物が多く印刷された。それらの中には歌謡資料としても貴重なものが多数存在する。こういった”おもちゃ絵”と歌謡との関係については...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
本稿では槇原敬之の17枚のオリジナルアルバムの歌詞を分析し、まず語彙の構造を明らかにした。今回の調査では延べ語数においても異なり語数においても動詞が名詞を上回っていること、また英語の歌詞がかなり含まれ...
三重県内で最も多い「地搗歌」は「オモシロヤ イヨノヒョウタンヤ」という噺し言葉を持つ、いわゆる「ヒョウタン節」と言われるものである。特に、今回の調査では「志摩」・「南勢」・「松阪」地区の「地搗歌」はす...
「隆達節歌謡」は五一九首の歌と五〇種を超える歌本の存在がこれまでに確認される。このことは研究者が「隆達節歌謡」を引用する際に、きわめて複雑な手続きを要求されたことを意味している。筆者はかつて、「「隆達...
publisher奈良平安宮廷の貴族たちに、懐かしい古謡として愛唱されていた催馬楽は、神楽歌と並び称されるような古色を感じさせる歌詞をもっている。後白河院は梁塵秘抄口伝集で、催馬楽は「大蔵の省の国々の...
二条院讃岐の先行研究では、藤原重頼の系図に讃岐の名が見えるという理由で、その系図に讃岐を当てはめて讃岐の人生を推測し、更には讃岐の人生をも創出してきたようである。本稿では讃岐の前半生を系図以外の一次資...
陳承祚銓敘鼎立,綴輯漢晉,首尾相涉,出入百載。明其得失,事多審正,?前人未有之例,誠古之嘉史也。國志簡質有法,然失於略,故裴世期奉旨尋繹,上掇舊聞,旁摭遺逸,補注闕疑,務在周悉。其承祚之所不載,事宜存...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
信時潔と山田耕筰は、あい前後して生まれ、日本の作曲界の黎明期を担う大きな二本の柱であった。特に芸術歌曲のジャンルに於いては西洋の作曲技法を踏まえながら日本の美意識、日本語の取り扱い等、それぞれに個性的...
本歌取りを得意としていた藤原定家は、本歌を巧みに想起させるように本歌取りの歌を創作している。一方で本歌との違いを明かにし本歌取りの歌と本歌とが別の歌であることをも示している。それにより、読み手は本歌と...
ここに紹介する『朗詠要抄』は、その奥書の署名から円珠本と呼ばれる朗詠九三首を収録する譜本である。これは、魚山と称される天台声明の中心地大原に伝えられた朗詠譜本という点で貴重であるが、そればかりでなく、...
高山英華(1910-1999)は、①東京オリンピック、日本万国博覧会(通称:大阪万博)、札幌冬季オリンピック、沖縄海洋博覧会、国際科学技術博覧会(通称:つくば博)など戦後日本の国家的イベント施設の基本...
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
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