ケイエイシャイシダタイゾウロン(2・カン) キイチロウセンリャクトノソウグウ

  • 笠井 雅直
  • 藤井 隆久
Open PDF
Publication date
October 2018
Publisher
名古屋学院大学総合研究所
Journal
issn:0385-0048

Abstract

 戦時下,豊田紡織は,中央紡績へと統合され,豊田は綿業からの事業転換を余儀なくされる。豊田は,豊田自動織機製作所とトヨタ自動車工業に拠る軍需品生産・自動車製造へと邁進する。豊田自動織機製作所は,紡織機の製造が困難化しつつあり,事業の再構築をすすめていたが,石田退三は常務取締役として,その最前線に放り込まれたのであった。何事も「合理的にすすめる」石田退三は,自動車部品の生産と軍需品生産に関する実績から,ついには豊田自動織機製作所の「生産担当者」となる。第二次大戦後はGHQによる「財閥解体」の一連の改革の中,石田退三は豊田自動織機製作所における紡織機生産の再開を推進することで,1948年豊田自動織機製作所の取締役社長となる。全豊田の観点,家族主義的豊田を体現する経営者となっていた

Extracted data

We use cookies to provide a better user experience.