日本江户时代汉学家、诗人市河宽斋所著《陆诗考实》是东亚现存最早的陆诗注本之一。此书选收陆游入蜀诗与出蜀诗,按时序编次,其注释侧重诗歌写作时地背景、陆游行迹、典故、诗歌艺术分析等方面,繁密细致,方法上以考证为主,亦带有个性化的论析。《陆诗考实》的出现及其特点,与江户时代日本诗学风气变化、宽斋个人诗学喜好、明末清初宋诗风的盛行及清人注释风格的影响等均有关系。此外,《陆诗考实》还是宽斋之后撰著《陆诗意注》的基础,两者之间关系密切,但内容上各有侧重,注释方式亦有区别,从中可以看出宽斋注释陆诗的前后进度和思路变化。中文核心期刊要目总览(PKU)中国社会科学引文索引(CSSCI)1141-15
井上友一は『救済制度要義』の著者として,社会福祉学上また社会福祉学史上,著名である。つまり,彼は,日本で最初の体系的社会事業研究を成した,初期の社会事業官僚としての評価が定まっている人物のようである。...
埼玉県越谷市本号では和辻哲郎の藤岡蔵六の訳書批判にはじまる、いわゆる「藤岡事件」をまず詳説する。和辻がなぜ蔵六の処女出版に強い抗議の言説を叩きつけたのか、その疑問を解くためにいくつかの文献を発掘し、そ...
江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
『枕草子』第九十八段「中納言まゐりたまひて」段は、有名な「海月の骨」の秀句の段であるが、従来この秀句は、隆家の「見たことないほどすばらしい扇の骨だ」との発言に対し、「見たことないなら海月の骨ですね」と...
日本のことば遊びの一種に判じ物がある。判じ物は絵と文字を用いて、主として日本語の同音異義によって解読させる視覚的なことば遊びである。その判じ物の資料のうち、同類の名詞を解とする判じ物を一枚摺りの錦絵版...
近松はその世話物において,一般には庶民の生活を「義理と人情の葛藤」において把握し,義理のために人情を殺すか,人情を強調して自己を殺さねばならなかつた彼等の悲劇を描いたのであり,義理と人情は對し,矛盾す...
天正末年に糠部郡を舞台にして起こった九戸一揆については,これまでも多くの研究が言及しているところであり,その性格もおおむね解明されている。しかしながら,この事件の全容を通史的に叙述した論攷は,1961...
本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
埼玉県越谷市藤岡蔵六は芥川龍之介の一高時代の友である。東京帝大の哲学専修をトップで卒業、大学院に籍を置き、哲学研究室の副手をつとめたこともある。その後ドイツに留学、エドマンド・フッセルにつき、哲学研究...
鴨長明『方丈記』の「五大災厄」の部分は、当時起きた災害の事実を基に記しているとされるが、中には「虚構」とされる部分もある。確かに、「養和の飢鯉」について見るに、養和二年の二ヶ月間に供養された遺棄遺体数...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
埼玉県越谷市前号に続いて、ここでは藤岡蔵六の一高時代から東京帝国大学文科大学哲学専修を経て大学院・哲学研究室副手時代、そして欧米留学までを扱う。はじめに一高時代の芥川龍之介・井川恭・長崎太郎らとの友情...
井上友一は『救済制度要義』の著者として,社会福祉学上また社会福祉学史上,著名である。つまり,彼は,日本で最初の体系的社会事業研究を成した,初期の社会事業官僚としての評価が定まっている人物のようである。...
埼玉県越谷市本号では和辻哲郎の藤岡蔵六の訳書批判にはじまる、いわゆる「藤岡事件」をまず詳説する。和辻がなぜ蔵六の処女出版に強い抗議の言説を叩きつけたのか、その疑問を解くためにいくつかの文献を発掘し、そ...
江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
『枕草子』第九十八段「中納言まゐりたまひて」段は、有名な「海月の骨」の秀句の段であるが、従来この秀句は、隆家の「見たことないほどすばらしい扇の骨だ」との発言に対し、「見たことないなら海月の骨ですね」と...
日本のことば遊びの一種に判じ物がある。判じ物は絵と文字を用いて、主として日本語の同音異義によって解読させる視覚的なことば遊びである。その判じ物の資料のうち、同類の名詞を解とする判じ物を一枚摺りの錦絵版...
近松はその世話物において,一般には庶民の生活を「義理と人情の葛藤」において把握し,義理のために人情を殺すか,人情を強調して自己を殺さねばならなかつた彼等の悲劇を描いたのであり,義理と人情は對し,矛盾す...
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本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
埼玉県越谷市藤岡蔵六は芥川龍之介の一高時代の友である。東京帝大の哲学専修をトップで卒業、大学院に籍を置き、哲学研究室の副手をつとめたこともある。その後ドイツに留学、エドマンド・フッセルにつき、哲学研究...
鴨長明『方丈記』の「五大災厄」の部分は、当時起きた災害の事実を基に記しているとされるが、中には「虚構」とされる部分もある。確かに、「養和の飢鯉」について見るに、養和二年の二ヶ月間に供養された遺棄遺体数...
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埼玉県越谷市本号では和辻哲郎の藤岡蔵六の訳書批判にはじまる、いわゆる「藤岡事件」をまず詳説する。和辻がなぜ蔵六の処女出版に強い抗議の言説を叩きつけたのか、その疑問を解くためにいくつかの文献を発掘し、そ...
江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例...